朝日新聞などの批判者は占領軍による占領政策を今尚無理強いする基地外

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/ee0d0b26697fd872d82bcd98ffd1b50dd78ee9d4
陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現
4/7(日) 20:08配信
朝日新聞デジタル
陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現
陸上自衛隊第32連隊のXへの投稿

 陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使って投稿していた。政府は太平洋戦争を指す言葉として、この呼称を公式文書では用いていない。同隊は7日、取材に公式アカウントであることを認めた上で、「本日はコメントすることができない」とした。

 同隊は5日、硫黄島(東京都)で日米合同で開催された戦没者の追悼式に参加したことをXの公式アカウントで紹介。「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」「祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします」などと投稿した。

 日本は1940年、欧米からアジアを解放し「大東亜共栄圏の確立を図る」との外交方針を掲げ、41年12月の開戦直後に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後、占領軍の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止された。



>日本は1940年、欧米からアジアを解放し「大東亜共栄圏の確立を図る」との外交方針を掲げ、41年12月の開戦直後に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後、占領軍の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止された。


戦後、占領軍の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止されたが、その後、1952年のサンフランシスコ講和条約発効によって占領政策は終わり、「大東亜戦争」呼称の禁止は解かれた。

そして、1941年12月の開戦直後に閣議決定した「大東亜戦争」が公式呼称となった。





 

https://news.yahoo.co.jp/articles/c16f3549b832ff3320b28a19d7091e520c93b7ee?page=1
「悪意のみの歴史解釈に限界」静岡大の楊海英氏 陸自の「大東亜戦争」表記問題視報道で
4/9(火) 20:59配信
産経新聞
陸自の「大東亜戦争」表記が日本の公式呼称!朝日新聞などの批判者は占領軍による占領政策を今尚無理強いする基地外
静岡大の楊海英教授=9日午後、東京都千代田区(奥原慎平撮影)

中国・内モンゴル自治区出身で日本に帰化した静岡大の楊海英教授(文化人類学)が9日、東京都内で産経新聞の取材に応じ、陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)で硫黄島(東京都小笠原村)を「大東亜戦争最大の激戦地」と表記し、その後に撤回した問題について「一種の言論弾圧だ。国民の生命と財産を守る自衛隊に対し、過去の戦争を持ち出して批判めいて報じるのはやめてほしい」と語った。部隊が5日に「大東亜戦争」の表現を用いると一部の報道機関などが問題視し、8日に該当する表記を改めた経緯がある。一問一答は次の通り。

【画像】陸自第32普通科連隊の8日の投稿。当初の投稿から「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現が削除された

■民族自決運動の側面も

──陸自第32普通科連隊が5日、硫黄島で執り行われた日米合同慰霊式を巡り「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」とXに投稿すると、「大東亜戦争」表記について「政府は公式文書では用いていない」などと報じられ削除に追い込まれた

「陸自幹部の制服姿での靖国神社参拝が問題視されたこともあるが、自衛隊の行動について、過去の歴史と結び付けて報道するのは問題だと思う。国民の命と財産を守る存在に対して、いちいち過去の戦争を持ち出して、批判めいた報道はやめてほしい。一種の形を変えた言論弾圧ではないか」

──「大東亜戦争」は先の大戦を巡り、戦前に政府が閣議決定した名称だ

「閣議決定した以上、戦争当事国の正式な認識だ。『侵略戦争』『不義の戦争』などは戦後の戦勝国の裁判史観によるものだ。その米国も1952年のサンフランシスコ講和条約発効で(連合国軍総司令部=GHQが公文書に『大東亜戦争』表記を禁じた『神道指令』が失効し)軌道修正している。戦後日本の言論界の一翼が東京裁判史観で戦争当事国の閣議決定を批判するのは不公平だ」

──先の大戦を巡る評価はさまざまだ

「同じ戦争でも当事者が違うと当然認識は異なる。日米でも、大東亜戦争の舞台となったフィリピン、インドネシア、モンゴル、中国でも、それぞれで違う。モンゴルにとっては一種の世界戦争で、それを通じて中国から独立を図ったというもの。中国は抗日戦争といっているが、戦時中には定義していない。西洋諸国の植民地だったインドネシアやフィリピンなどは一種の解放戦争とみる場合もある。世界戦争の中の民族自決運動の側面がある」

■国民世論の分断に懸念

──大東亜戦争の響きはどう映るか

「日本にとってジャストミートする響きではないか。イデオロギー的に偏っているとも思わない。『先の戦争』といえば、どこまで先なのか分からないし、そもそも、歴史はすべて悪意で作られているとみるべきではない。台湾人も満州人もモンゴル人も概して日本時代を評価した。侵略戦争のみでは全体像はみえない」

──今回の問題で懸念されることは

「国民世論の分断だ。本来、日本人社会は調和がとれて、お互いに配慮して、争いごとを避けるものではなかったか。にもかかわらず昨今のSNSでの表現は過激化している。歴史を持ち出した報道はSNS上で暴走し、独り歩きし、日本国内の世論や国民の意識の分断を促している」

──大東亜戦争を使ったら戦争を美化していると思うか

「思わないよ。『モンゴル帝国はすごかった』といって、当時の侵略を美化しているモンゴル人は1人もいない。過去の歴史的出来事をすべて悪意でもって解釈することには限界がある」(聞き手・奥原慎平)





【大東亜戦争】が日本の公式呼称(正式呼称)だ!

『太平洋戦争』呼称は、占領軍による洗脳政策であり、1952年のサンフランシスコ講和条約発効により、失効している!

今でも『太平洋戦争』と呼んで【大東亜戦争】呼称を批判する連中は、正式に失効した占領軍の占領政策を死守しようとする馬鹿!


 

閉ざされた〈大東亜戦争〉
(前略)
日本人の歴史学者が〈大東亜戦争〉という言葉を使わないことがすべてを物語っている。結局、彼らは「閉ざされた言語空間」から自由になれないまま〈閉ざされた思考空間〉での認識に終始している。

占領下6年8カ月の位相転換と、それによってもたらされる戦後に対する視座の変革のためには、まず〈大東亜戦争〉という言葉を使うことで、閉ざされたドームの被膜を切り裂かなければならない。

占領期にアメリカに奪われた言葉として挙げられるのが、〈大東亜戦争〉という言葉であり、戦争スローガンにもなっていた〈八紘一宇〉という言葉も抹消された。いずれにしても、日本人が主体的に過去を引き受けるためには、どうしても〈大東亜戦争〉という言葉を使わなければならないのだ。

50年以上続くメディアの自己検閲システム

敗戦後、日本は昭和27年(1952年)4月28日まで占領下に置かれていた。敗戦という決定的で壊滅的な打撃を受けたものの、占領軍に支配されたまま保護されて復興を果たし、〈閉ざされた思考空間〉を形成するドーム状の被膜に覆われたまま、60年の時間が流れた。

もしかしたらアメリカが日本人に気づかれないように巧みにドームを透明にしたのかもしれないが、その存在を認識しないままドームの中でヌクヌクとしてきた日本人の責任も問われている。

昭和23年(1948年)に、アメリカ占領軍GHQのCCD(民間検閲支隊)は事前検閲を事後検閲にシステムを改めるのだが、それには日本メディアの自己検閲能力を占領軍が信用できるという前提が必要だった。つまり、その時点でGHQは、日本メディアにオートマティカルな自己検閲機能が備わったと認識したということに他ならない。江藤淳氏はこう書いていた。

『反日の構造』西村幸祐著



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