あれから13年。
まずもって亡くなった方にご冥福をお祈りするとともに、行方不明者が一日も早く見つかりますよう、つらい思いをされた方が一日も早く立ち直れるよう、お祈りします。

あの未曽有の大震災から13年が経過しようとしている。
私は九州の人間だが就職で東北に暮らしていた時期がある。楽しい時間を過ごした風景が呑み込まれていく様を茫然と見ていた。

私には何の力もなかった。
現実とも思えぬ、その光景。

あの時、誰もが動けぬ中、即応した人たちがいる。
日本を守る自衛隊と、在日米軍だ。

メディアはそれをどう報じたか。
震災後、メディアは、自衛隊を、在日米軍を、どのように報じたか。

私には許せぬことがある。

 

 

 

 

沖縄の友人のFBより。

 

(過去の投稿のため、数年ズレておりますが、当時の原文ママとさせて頂きます。)
5年前、東北を襲った未曽有の地震、そして津波・・・
それは数多くの人々の命を奪いました。

丁度そのとき、私の娘が修学旅行でディズニーランドに行っており
後から聞いた話では、立つことも出来ず座り込むことしかできなかったと。

地震が収まり混乱が続く中、ディズニーの係員が配るお菓子を見るからにヤンキーと思われる女の子がどんどん受け取っているのを見たそうです。

あんなに貰ってどうするんだろう?とみていると、
その女の子たちはお菓子を小さな子供たちにどんどん配っていた・・・
誰もが出来ることを一生懸命にやろうとしていた。

遠く離れた南の島で、その一報を聞いた私は当時PTA会長。安否確認がなかなか取れず、ようやく連絡がつき全員の無事が確認されたとき、前年に導入した同報システムを通じ保護者に一斉に送信しました。

 
そしてその頃・・・
南太平洋の海上で、舳先を180℃転回し東北へ向かう米海兵隊の姿がありました。
そして被災地へ。
その後、在沖米軍は東北の救援の為に休む間もなく動き続けました。

特に復旧不可能と言われた仙台空港を真っ先に復旧させ、救援資材の搬入が出来るようにしたことは、その後の救援活動に大きな力を発揮していきます。
その空港復旧のために奔走したのが当時米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ博士でした。
博士は持てる日本のブレーンを総動員し海兵隊と協力させ、仙台空港の復旧に多くの貢献をされた方です。

その後、嘉手納基地、そして普天間は食料、飲料、衣服、生活用品を積んだ航空機がひっきりなしに東北に向けて飛び立ちました。しかし沖縄のマスコミはそれを報道することなく、全国ネットで報道し始めるとこう言い放ちました。
「宣撫工作だ」「訓練をしにいっているに違いない」

そしてトモダチ作戦終了後に、基地反対派が行ったのは、普天間基地周辺で風船をあげ、航空機の飛行を妨害しあわよくば墜落させようという行為に及んだのです。そして県内の2紙はそれを「非暴力のヘイワ運動」だと大々的に報道し賞賛した。

私は在沖海兵隊、米陸軍、空軍、海軍だけでなく、そのご家族や基地従業員の皆さんが奉仕と自愛の精神を持って救援活動にまい進されたことを記憶してほしい。
彼らは多くの日本人の命を救う手助けをしてくれた。

しかし何一つそれを誇示することもなく、そっと被災地から消えていった。だからいま、私は彼らに「ヤンキーゴーホーム」「ゲラーリ」「アウトオブオキナワアウッ」と罵声を浴びせかける方々ばかりが沖縄の人々ではないということを、フェンスクリーン活動、ハートクリーン活動を通じ伝えています。

掲げる横断幕には、「皆さんは私たちの友人だ、この島(人、国)を守ってくれてありがとう」と英文で書いてあります。一昨年、普天間基地司令官フリン大佐が退任される式典で私は招待されました。そして式典の最中、私は名前を呼ばれました。

彼は厳しい顔をしてこう言いました。
「ここにいるボギーは、この島を護ってくれてありがとうと書かれた横断幕を持って週末Gate1に立っている、しかしそれは間違っている」
会場は静まり返りました。

その直後、こう言葉を紡いだのです。
「私たちが彼らを守ってるのではない、彼らが心無い人々から私たちを守ってくれたのだ、心から感謝したい、ありがとう」と。

会場は大きな拍手に包まれました。
彼等は自身が行った功績に対し決して威張ることはありません。
恩を着せることもありません。
身を挺し、自国民でもない日本の人々を救うために東北で尽力してくれた友人たちに、私は永遠に感謝の気持ちを忘れないだろう。

 

 

返しきれぬ恩

 

沖縄のメディアにより日本の恩人が窮地に


こんなバカなことがあって、たまるものか。トモダチ作戦の立案者の1人であり、日本国民として極めて恩のあるロバート・D・エルドリッチが、捏造報道に振り回されている。沖縄の地方紙が面子を守ろうと、彼の人生を潰しにかかっているのだ。

冒頭に述べておくが、ロバートは私の友人である。彼が窮地に立たされ苦しんでいる。彼は博士号を有しており、ロバート博士と呼ばれる。米海兵隊に所属しており、いわゆる幹部・高官に分類されるのだろう。知らぬ方も多いと思うが、その経歴を聞けば「ああ、あの人か」と思い出す方も多いはずだ。

仙台空港の尋常ならざる復旧の立役者。空港復旧に際しては、日本国内に持つさまざまな人脈を駆使し、建設重機をかき集めた当事者だ。

また、復旧においても海兵隊の初動がずいぶんと速かったことは記憶に新しい。ロバートは堪能な日本語能力を活かし、多くが英語しか話せぬ海兵隊において、被災者の支援、生存者の救助活動を円滑化させるため不眠不休で通訳を行った。彼なくして、仙台空港はあれほど速い復旧は不可能だった。

震災直後の仙台では、物流のライン、つまり支援物資を入れるためにも空港の復旧が急務であった。初動段階から極めて円滑な体制が構築できた。救われた命はどれほどの数だろう。彼の功績は極めて大きかったと言わせていただく。当然ながら、震災直後より現地入りしたメンバーである。それがロバートなのだ。

私も以前、普天間基地を直接案内していただいたことがあり、あまりに日本語が上手く、ジョークにもキレがある。非常に気さくであり、話していると高官であることを忘れそうになる。

はっきり申し上げれば、私の友人としての認識は「おもろいオッサン」なのだ。とは言え、ただのおもろいオッサンではない。日米の友好を真に考え、日本人と苦楽を共にした豪傑。それがロバート博士の本当の姿である。

知日派、親日派として知られ、今までも左派メディアから攻撃に遭ってきた。いつものことと一笑に付すロバートの顔が脳裏に浮かぶが、今回ばかりは状況が異なる。

ロバートは「情報流出の犯人」として報じられ、極めて苦しい状況に追い込まれている。先に断わっておくが、沖縄の地方紙の動きを「願望記事」、「捏造記事」だと私は認識している。彼らの小さな面子を守るための見え透いた反応に思え、ウソがばれた小学生がウソにウソを塗り固めているかのようだ。

民間企業に対し、市議とはいえ公人である私がこう述べることは問題があるのかも知れないが、「たかが私企業ごときが」とか「地方メディアがやっていいことか」という思いもある。ロバートは日本の恩人である、地方紙とは比較できぬ存在だ。

 

 

基地反対活動、指揮官級が逮捕。
「なんで逮捕するんだ?」と責められる米軍。メディアスクラム、及び共産・社民の国会議員が大騒ぎ。
世論の「捏造」により孤立していく米軍。

状況を一変させたのは、一本の動画であった。
実際に「逮捕事実」とされるだけの行為がそこに収められていたのだ。
事態は沈静化の方向に傾くが、今度は「情報流出」としてやり玉に。
その際の「犯人」として叩かれたのがロバート博士だった。

あの未曽有の震災において、仙台空港を復旧させた立役者である。

 

 

新聞業界に告ぐ


このエントリの末尾は、以下のように締められていた。
>今回、沖縄のメディアがやったことは、地方紙がどうのこうのというレベルの話ではない。沖縄だけの話ではないのだ。どうも皆様は勘違いしている。沖縄の地方紙が地元ルールをどう振りかざそうが自由だが、ならば私もこちらのルールで行かせていただく。

>例えば「押し紙の実態」について、地域を特化して監査を行ってもらえるよう私は訴えていく。たかだか地方議員風情の、1期も務めぬ新人の私個人の活動だ。とは言え、私は本気で動かしに行くだろう。結果と実績をもって、それを証明したいと思う。

>また、多くの心ある日本人がさまざまな方法で動くだろう。沖縄だけで動くのではない。全国で動き、動かすのは中央である。沖縄の地方紙のルールは中央では通用しない。

>沖縄の地方紙のロバートに対する認識は「気に食わぬ米軍の高官」というものだろう。だが、私の認識は違う。ロバートは日本全体の恩人なのだ。地方紙風情がどう思おうが、こちらにはこちらのルールと生き方がある。沖縄のメディアは、自分たちのルールを振りかざした。日本の恩人に、私の友に、オレオレルールを振りかざした。ならばこちらも同じように振る舞わせていただくだけだ。

>地方紙の領域を大きく逸脱していること。少し考えたほうがいいように思う。
>最後に一言、私はかなり怒っています。

 

 

自衛隊も、人間です。


以下は、ネットのコピペです。
ですからそれが事実かどうか等はわかりません。
またこれが事実であった場合、自衛官を責める方もいるのかも知れませんが、私にはそういう意図はございません。
自衛官だって人間です。在日米軍だって、人間です。

 


538: おさかなくわえた名無しさん@?(^o^)/ 2015/08/21(金) 22:03:04.08 ID:l7OdagXd.net
東日本大震災があって炊き出しに行った際 、
避難所で色々やってたら
「俺だって家族が見つからないんだよ!!」
って叫び声が聴こえて、
何事かと近付いたら若い自衛隊員が泣き崩れてた。

「こんな所には居たくない。探しに行きたい」とか
「こっちだって辛いんだよ」と言って、しゃがみこんで号泣してた。
他の隊員が「やめろ!何を言うとるんだ!しっかりしろ!」って怒鳴って
立ち上がらせても泣いて泣いて止まらず、結局外に連れ出された。

詳細は知らないけどその後に
一部の避難民が自衛隊の方々に頭下げて謝罪してたから、
きっと被災者に何か酷い事を言われてそうなっちゃったんだと思う。
みんな心に余裕がないから、俺ですら暴言を浴びたこともある。
それに耐えられなかったんだろうね。

移動しようと外に出たら、避難所の前でその隊員が偉い人に怒られてた。
彼はまだ泣いてたし、偉い人も泣いてた。

俺が所属してる団体でも
「自分達が感情的になってはいけない」と教えられるくらいだから、
きっと彼は間違っていて、だから怒られるんだろうけど、
自分個人の感情としては彼は何も間違ってないし、立派な人だと思った。

明日また東北に行くんだけど、行く度に彼のことを思い出す。

 


【女子高生の怒り
?ここの人らは歩いて来てくれはったんや?】

2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて
風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…
ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…

団体は撤退・・・

彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
http://kokorodo.net/e1080

 

 

私たちのなすべここと
このBlogをお読みの方には、言うまでもないことだとは思う。
その上で再度、明確にしたいことがある。
戦争を含む、本当に厳しい状況に陥った場合、「最後の最後に貴方を守る力」が何か、ということだ。
それは自衛隊であり、友好国の軍である。

これは世界の常識だと思うのだけれど、この当然の事実を日本人のみは知らない。
なぜかと言えば「自衛隊=戦争」とか「軍事力=戦争」など、負のイメージのみを刷り込まれてきたからだ。

違う。
自国民にとって、最後の最後に頼りとすべきは軍である。
正直、軍とは極めて高コストなのだ。それでも世界各国が軍を維持するのは、なにも緊張を煽ろうとか戦争をしかけようとしてのことではない。
自国民の生命と安全を守るため、国家の責務として通常に行われていることなのだ。

※特記
自国民に銃を向け戦車で蹂躙した国がある。CHINAだ。
しかし人民解放軍は共産党の私兵集団という位置づけであり、国民以上に共産党を守るという観点で考えれば、それも正しい動き方なのかもしれない。理解もしたくないが。

 

震災を通して、その後のメディアの異常性は、実態として国民に周知された。
時代は大きく変わりつつある。

その上で、私たちにできること。
それは何か。

自衛隊も、在日米軍も、「自らは言えない」ということだ。
メディアからの集中砲火にあい、酷い目にあって苦しんだとしても、
人を助ける者であっても「助けて」は言えないのだ。

自衛隊は、日本人を守る。
しかし、自衛隊は日本人しか守れない。
彼らは自ら述べることすら許されていないからだ。

 

 

 

物言えぬ自衛官に代わり、物言う政治家として自衛官を守りたい。
言われたい放題の在日米軍に代わり、友好国の政治家として言うべきことを言いたい。

これは国民一人一人ができることだ。
守られている感謝を、小さな行動に移していこう。
彼らを守れるのは、私たちだけだ。