現在、支配層はWEFや国連を通して極悪非道な政策を特に西側諸国に強引に実行させていますが、その土台となっているのが新マルクス主義でしょう。
これは元々のマルクス主義を文化や環境にも悪用したものです。ですから元々のマルクス主義が非常に危険なものなら、新マルクス主義はそれを上回る最悪のものです。支配層もこれまでの世界を破壊するにはマルクス主義だけでは不十分と思ったのでしょう。
世界の左翼の方々(共産主義者や社会主義者)は、カール・マルクスを尊敬していると思います。偉大なカール・マルクスの思想こそが全ての人々が学ぶべきものだとでも思っているのでしょうか。
しかしカール・マルクスは以下の記事の通り、常識的な人なら誰もが嫌う異常者でした。彼はソシオパスだったようですが、実際は生まれつきのサイコパスだったのではないでしょうか。それでも左翼の方々はマルクスを尊敬するのでしょうか。さらに彼もロスチャイルドと血族関係にあります。ヒットラーと同じです。
これまでにも言われてきたことですが、共産主義(社会主義も)の根底には悪魔主義、唯物主義があります。人間の心から神という存在を消してしまいます。利己的な彼らは物質(カネ、権力)だけを信じています。
現在、悪魔を崇拝する支配層は、世界中(特に西側諸国)を共産主義新マルクス主義によって完全に支配しようとしていますが、時間の流れが急激に加速している今、新マルクス主義も既に時代遅れになっているのではないでしょうか。
そういえば、カール・マルクスとオウムの浅原ショーコ―は吐き気がするほど薄汚い異常者という点で雰囲気的によく似ているような気がします。

Portrait of Evil: Karl Marx, a Disciple of Hell on Earth | Winter Watch
 (一部)

 3月11日付け

 
悪の人物像:カール・マルクスはこの世の地獄の信奉者

 

 

 

↑ 東ドイツ、ケムニッツにあるカール・マルクスの記念碑。

 

マルクスの性格は非常に複雑でひねくれておりカメレオンのようでした。
誰かが嘘っぽい脚本を書いて彼の悪い側面を隠そうとしていたのかもしれません。

信じられないことに、マルクスは世界的に尊敬されています。なぜでしょうか。
 

 

 

↑ 2018年5月、ドイツ郵便局は カール・マルクス生誕200年を記念した切手を販売しました。


イデオロギー社会主義者のマルクスのライバルだったミハイル・バクーニンは、マルクスに関する全体像をつかんでいました。

ここでも、一般の人々を奴隷にするための疑似哲学を押し進めるエリート集団の見慣れたパターンがあります。つまり、一般の人々は「オリガルヒ」と呼ばれる集団に独裁支配され略奪されるというパターンです。我々は彼らを 「クレプトクラート」または犯罪シンジケートと呼んでいます。

 

「今や、少なくともこの世界の大部分が、一方ではマルクス(主義)に、もう一方ではロスチャイルドに好きなように利用されている。これは奇妙に思えるかもしれない。社会主義と一流銀行の共通点は何なのか。要は、権威主義的社会主義つまりマルクス共産主義は国家の強力な中央集権化を求めているということだ。そして中央集権国家には必然的に中央銀行がなければならない。そして、中央銀行が存在する国家には人民の労働に投機する寄生的なユダヤ人がいる。」とドイツ系ユダヤ人に関する研究から、ロシアの社会主義民主主義者の信仰告白(ル・レヴェイユへの手紙、パリ、1869年)に明記されています。

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従ってマルクスの役割は、労働者たちを「便利なバカ(尊敬に値しないが利用できる人間)」や無知な道具として利用することでした。 そして彼らはこれらの便利なバカたちを操作できることを望みました。彼らは、労働者階級という名目で自分たちの陰謀を続けるために、あらゆる種類の共産主義、社会主義ユートピアを作り出さなければならなかたのです。マルクスは、愚かなプロレタリアートのねたみを利用し、恐怖心、苦悩、テロそして裏切り者の最高権力者が君臨するこの世の地獄を強引に作り出そうとしました。

 


マルクス神話は最初から理解が困難でした。
彼の父親のヒルシェル・ハ‐レビ(レビ族を意味する )・マルクス(ロスチャイルド家とつながりがある最高裁判事だった。)は、1816年に日和見的にキリスト教に改宗しました。そしてヒルシェルの父親(マルクスの祖父)はケルンの有名なチーフラビ(ユダヤ教指導者)であり、ヒルシェルの義父もラビだったのです。なんという偶然でしょう。
マルクスは、1818年5月にドイツのトリーアという町で生まれました。彼はキリスト教徒ということでしたが、モーセ・モルデカイ・レビ・マルクスというモーセの名前が与えられました。

カールという名は、キリスト教徒を装うためのカバーネームとして使われました。彼は6才まで洗礼を受けませんでした。彼はロンドンを拠点とするライオネル・ネイサン・ロスチャイルドの3番目の従弟と言われています。

 

若きマルクスは、タルムードの学校とイエズス会の学校に通いながら、ユダヤ教徒が世界を支配しなければならないということを学びました。ユダヤ教の著名な職員であり、広報担当者のバーナード・ラザール(1865年~1903年)はマルクスがタルムードの影響を受けていたことを認めました。

 

 

マルクスは大学時代に陰湿なソシオパス的側面が現れました。

1838年5月に父親が死亡したことで家族からの資金援助が途絶えてしまったため、つらい思いをしたかもしれません。

マルクスは無神論者となり人類に対する終末論的な憎しみを表現した詩を書くことに没頭し、これまでに発見された彼の詩や詩劇は40にものぼります。

(詩は省略)

 

マルクスの詩の中には、彼がサタンと共に人類を地獄に誘いこむと確約したものがあります。

 「World Revolution」にネスタ・ウェブスターが掲載したHuman Prideの中に、マルクスは彼自身が真の精神病質者であることを明かしたと書かれています。このようなモンスターたちの核心部について誰も関心を持っているようには見えませんでした。

 

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1856年4月14日にマルクスは大げさな声明を出しました。
「歴史は裁判官であり、 プロレタリアートは歴史の死刑執行人である。」と。

彼は恐怖(テロ行為)や赤い十字架の印が付いた家について話すことに大きな喜びを感じました。

赤い十字架の印はその家の住民が殺されることを意味しています。

彼の言葉はヤコブ・フランクの表現を連想させます。
これはマルクスがフランキズムの影響を受けていた可能性があることを示しています。
マルクスの父親はフランキズムと繋がりがあり、彼の子供たちにフランキズムのイデオロギーを教えていました。トリーア(マルクスが生まれた町)は、 フランクフルト近郊のフランキスト・センターから少し離れたところにあります。

いわゆるキリスト教徒のマルクスは、24歳の時、悪意のある扇動者のラビであるモーゼス・ヘス(ドイツのユダヤ系社会主義者)に仕え彼の影響を受けました。
ヘスはマルクスにユダヤ人とのハーフのフリードリヒ・エンゲルスを紹介しました。ヘスは、異なる社会階級を互いに扇動し合い、異なる社会階級の連携を妨害する必要性を強調しました。彼は、ユダヤ教、人種差別、階級闘争をうまく利用して社会主義革命を起こしたかったのです。
彼は、社会主義者たちには祖国がないため社会主義は国際主義(グローバリズム?)と密接に結びついていると強調しました。真の社会主義者は自分の国籍とは無関係です。

また、彼は「これ(社会主義革命?)はユダヤ教徒には該当しない。」と宣言しました。

 

国際主義はユダヤ教にとって都合がよかったのです。

彼は、ユダヤ教徒には人類を野蛮な動物に変える役割があることを強調しました。

 

 

マルクス自身は、いつもの通り当たり障りなく「各暴君の背後には必ずユダヤ教徒がいる。」計画の存在を公然と認めました。

 

1847年11月、彼は「The League of Just Men」と呼ばれる革命一団を共産党に再編成しました。
マルクスはエンゲルスと共に年末までにリーグ(ソ連用語)を再編成しました。ヘス、マルクス、エンゲルス、ヴィルヘルム・ヴァイトリング、ヘルマン・クリーゲ、ヨーゼフ・ヴァイデマイヤー、エルンストとフェルディナント・ヴォルフが重要な役割を演じました。これは1848年にヨーロッパ全土で革命が起きる直前のことです。
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念のために記しておくと、私はイルミニストは事実上サバティア派フランキストだったと信じています。 「イルミナティ」という言葉は実用的ですが意味が少し違います。

 マルクスは反社会的な大学時代の幻想から彼のマニフェストには次のように記しています。

 「支配階級は来たる共産主義革命の前で震え上がるだろう。」

 「確立された秩序全体を暴力的に崩壊させることによってのみ我々の目標は達成される。」

 「我々は無慈悲であり、いかなる寛容も求めない。我々の番が来た時、我々は我々のテロリズムを隠すことはしない。」

マルクスは「社会主義運動において暴力の必要性を強調することが絶対に必要である。暴力は、新しい社会が古い社会の子宮から必死に出てくるのを助ける助産婦である。」と主張しました。

 

マルクスの精神が真に欲していたのは、人民を暴力的に扱い、最終的に人民から仲間に対する慈悲と思いやりの心を完全に取り除くこと、そしてマルクス主義者が労働者の生産物の収益を全て奪い取り、労働に対する報酬をかなり少なくするか全く支払わないことです。
マルクス主義者はこのような方法で現代の奴隷制を進展させました。

マルクスが最も重視したのは深い文化的価値と創造物の消滅でした。
マルクスの「教義」は肉体労働で価値を生み出す方法にのみ該当します。彼は創造的な思考を認めませんでした。彼の考えはアイデアを前線に置くヘーゲルとは異なりました。マルクスは弁証法を唯物的な用語で書き直そうとし、アイデアよりも物質が優位に立つと主張しました。

 

 


 

マルクス主義に関する評価の中には、教義を正しく解釈できる人はまだ権力を掌握していないと主張しようとするものがあります。教義を誤って解釈したマルクス主義者だけが権力を握ったのはなぜでしょうか。全くの偶然ですか。マルクスは実際に彼の「教義」がうまくいくようにしたはずはありません。

 

 

彼の大学時代の詩のファンタジーが実現しました。
それは「彼がサタンと一緒に人類を地獄に誘いこむ。」というものでした。

 

最も有名なマルクス神話によると、マルクスはお金を持っておらず、友人のエンゲルスに経済的に依存していたことになっています。しかし、実際には、ロンドンのネイサン・ロスチャイルドが彼に資金を提供していました。

 

 

バクーニンは、彼の著書「Polemic Against the Jews」の中で、マルクスと彼の仲間たちは「片方の足を銀行に突っ込み、もう片方の足を社会主義運動に突っ込んでいた。」と書いて記録を正しました。
 

マルクスは、最高級の料理とフランス産ワインを渇望し、何よりも、彼の家族の食卓にはそれらが全て用意されていました。彼の家族は高価な習慣に目がなかったのです。

マルクスの底なしの飲酒と羽目を外した高級乱交パーティーによって、周囲の人々の彼への怒りを増幅させました。
マルクスはパリの会議で怒鳴り散らしていたため、全ての会議は完全非公開の密室で行われ(会議室の窓とドアを閉めた。)外に彼の怒鳴り声が聞こえないようにしなければなりいませんでした。


エンゲルスはマルクスについて次のようにコメントしています。

 

「誰が狂気じみた企てを追い求めているのだ。トリーア出身の悪魔でありとんでもない怪物だ。彼は歩いたり走ったりせず、突然立ち上がり怒りを爆発させた。彼は青ざめ憎しみに満ち溢れていた。まるで1万体の悪魔に髪の毛を掴まれたかのようだった。」。 

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マルクスは民主主義には興味がありませんでした。
エンゲルスによれば、「Neue Rheinische Zeitung 」の編集スタッフはマルクスを独裁者にすることを計画していました。

 

マルクスは自分が批判されることに我慢できませんでした。誰かに批判されると彼は激怒しました。
1874年、ルートウィヒ・クーゲルマン博士が「マルクスは自分の人生をもう少しうまく整理できれば「資本論」を完成させることができるかもしれない。」と言っただけで、マルクスは彼との関係を断つと言い彼を容赦なく中傷しました。


マルクスは政敵や反対派に関する情報を収集しました。彼は自分に有利に働くと考え彼らに関する自作メモを警察に届けました。
マルクスは人々から搾取することを非難しましたが、彼自身は身近な全ての人々から搾取していました。

彼は自分が力づくで制圧できない人と常に戦っていました。
彼は子供の頃から真の暴君でした。
マルクスは働くことがとにかく嫌いでした。
しかし彼は株式市場に大量投機していましたが常に巨額の資金を失っていました。
また、彼は他の人々の労働に対して何の配慮もしませんでした。彼が雇った職人の多くが長い間無給で働かされました。ヘレン・デムートは、40年間、無給で家政婦として奴隷のように働かされました。

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マルクスは米国の奴隷制を支持しました。
彼は、同胞(サバタイ派のイルミナティ)のアルバート・パイクと同じように黒人に対する人種差別的な意見を公然と述べていました。マルクスは、支配と脅しの巧妙な仕掛けとして人種差別と反ユダヤ主義の作り話を利用しました。

マルクスはより良い社会について説教しましたが、道徳については関心がありませんでした。

また、彼は清潔さについても興味がなかったため、彼の健康は悪化し、他の革命家たちとの接触も難しくなりました。彼は、25年間、炎症性の腫れものに苦しみました。

1873年に彼は腫れものに悩まされ神経衰弱となり震えと激しい暴力的発作を引き起こしました。
彼は果物や野菜を全く食べませんでした。
その結果、彼は長期の不眠症に苦しみ、麻薬を入手し麻薬中毒になりました。彼はワインとリキュールが好きでしたが、葉巻をひっきりなしに吸っていました。