後半です。
一部のサイコパス集団(権力層)の支配欲と金銭欲と邪悪なアジェンダのために数々の国連機関が設立されました。WHOだけでなく国連全体がナチスや共産主義のファシスト犯罪集団が世界を独裁支配するために作られた機関だということでしょう。WHOの設立に関わったのはロックフェラーなどのグローバリスト、米国、ノルウェー、中国、ブラジルのごろつきだけでなく他のファシスト国家のごろつきも関わっていたことがわかりました。
そしてWHOの設立の目的は当時の邪悪なアジェンダを継続することであり、彼らはワクチンを使った優生学に基づく人口削減や世界支配を達成させる政策を世界中に押し付けてきました。
当時、ロックフェラーと共にWHOの設立を主導したのが米政府ですが、そのころは民主党政権が続いていました。このような極悪非道な犯罪が民主党政権下で押し進められましたが、共和党政権も民主党政権も同じアジェンダのために動いているのは確かです。
ロックフェラーは長い間、医療業界を支配してきたと言われていますが、ロックフェラーの優生学を押し進めるためにも医療や製薬業界を支配する必要があったのでしょう。今もビル・ゲイツと共にこの業界を支配し大量殺人を繰り返しています。
国連の創設を主導したのが中国、ソ連、イギリス、米国だったようですが、中国は戦勝国でもないのに戦勝国の一員になっていました。それは、「米国崩壊後に中国が世界を支配する」という中国の100年計画に当時の支配層が関与していたからでしょう。
国連やWHOの設立の経緯からも米国と中国は裏でつながって、米国は特に戦後、ナチスや共産主義者に汚染されてしまったことがわかります。
今回、イギリスの弁護士チームがWHOに対する法的措置に着手しましたが、できるだけ多くの加盟国の弁護士チームがイギリスに追従することを願います。
もちろんWHOの飼い犬でい続けたい日本政府は最後までWHOや国連を支援するでしょうけど。
そのためか、厚労省や厚労大臣は、WHOや製薬会社の指示通りに毒ワクチンを今でも国民に接種させ続けています。他の国々は既にそれを止めていますが。
学校や親に何回も毒ワクチンを押し付けられている受験生の将来が心配です。

 The UK is Unlawfully in The WHO! – The Expose (expose-news.com)
(概要)
1月23日付け
・・・続き
File:WHO logo.svg - Wikimedia Commons
 

23)理由は何かわからないが、マッケンジーは、政府を代表して条約(WHO憲章)に署名する外交上の全権を委任されたようである。これは正しい手順で行えるようになるまでの緊急的な措置であると考えられていたが、実際にはそうではなく、ナチスが過去に行ったように国民と国会の同意を永久的に回避するための手法だった。

しかし世界は平和であったため、これはマッケンジーが選挙で選ばれた大臣の代わりにWHO憲章に署名することの言い訳にはならず、特に条約に関する重大な財政的、規制的意味合いやそれが恒久的という点でも彼が代行すべきではなく、そしてマッケンジーが「外交官」だったと主張することもできない。また、マッケンジーは、WHO憲章の起草においても重要な役割を果たしていた。彼は国際連盟保健機関(WHOの前身でありWHOの親)の中心的な任務を15年間も担い、WHOの執行委員会を含む複数の組織で最高位の地位に就いた。

 

24)1928年、マッケンジーは国際連盟保健機関に在職中にギリシャ国民が彼の「規則」に従わなかったとして巨額の罰金を課すなどギリシャ国民に対する公私混同の横暴を振るっていた。
そしてマッケンジーは国際連盟保健機関では決して成し遂げられなかったことをWHOの設立で成し遂げようとしていたことを知っていたはずである。WHOの設立の目的とは「保健」機関を装いながら世界人類を(独裁)支配することだった。

 

 

25)また、なぜイェイツ(単なる行政官)がジェイムソン医務部長に代わってWHO憲章に署名したのか。イェイツが全権大使でもあったという記録はないが、ジェイムソン医務部長は弁護士でもあり医師でもあり法廷弁護士の訓練を受けていたことが記録に残っており、彼が著名者にならないことで重大な策略が発覚した際に彼の正体がバレないように隠れていたに間違いない。
ジェイムソンはロックフェラーと深い繋がりがあり、「細菌はドイツ人よりも酷い。」というプロパガンダと「ワクチン」の普及に執拗に取り組んでいた。

 

  

26)WHOへの加盟に求められる批准や国民投票の手順を一切せずにWHO憲章に署名した国は2カ国しかなかった。一つは中国で、もう一つはイギリスだった。
1946年5月~1946年7月に関する広範囲な調査によって、ニューヨークの国連安全保障理事会の会議について知っていた国会議員はごくわずかであり、国際保健会議が開催された事実やWHO憲章の署名について全く誰も知らなかったことが判明した。

 

27)1946年11月7日の閣議で、アニューリン・ビーヴァン保健大臣は、WHOが設立されたとしても米国に拠点を置くことは望まず、ロンドンに置くことを支持すると述べた。
彼がこのような発言をしたのは、身分の低い政府顧問のマッケンジーとイェイツの署名によってイギリスのWHO加盟が決まった3ヶ月以上も後のことだった。

 

 

28)当時、全ての国連機関及び国際機関が結ぶ協定や条約については、少なくとも内閣での議論と合意が必須だった。
 

29)1946年8月頃に、ギルバート・イェイツは、イギリスの「代表」としてWHOに署名した直後に、国連事務局で最高位職が与えられたことが明らかになっている。
1947年のSze博士の日記によると、イェイツは国連事務局で最高位職を得た。イェイツは長期にわたり非常に高給の国連職を享受し、やがて国連のディレクター(この部分がよくわかりません。)になった。


30)イェイツの努力は十分に報われた。マッケンジーがWHOに署名しイギリスのWHOへの加盟を決定させたとき、彼はWHOの事務局長になることを望んでいたが、そうならなかったためイライラしていたことがわかった。 


31)WHOは国際間の条約によって設立されたものではなく、単に「WHO憲章」を作成しただけで設立された。従って、各加盟国に対して(ましてやイギリスなどは)いかなる法的拘束力もないと見なされる。WHO憲章の署名を見れば分かる通り、それらの多くは単なる走り書きである。
WHO憲章を捜し出すのは簡単ではない。なぜなら、それはWHOの合法性、正当性、有効性に対する疑問が生じるのを防ぐためにどこかに隠されているからだ。
法的拘束力のある文書には(できれば)大文字で文書名を表示することが法的条件となっている。さらに、署名者らの地位と権限も記載されなければならない。イギリスの署名者らは、イギリスが正式に派遣した代表者らではなかった。また、当時の会議の写真を吟味したところ、他の多くの代表者らも国家を代表した者たちではなかった可能性が高い。 

 

32)WHOの前身(親)は国際連盟保健機関であり、この機関は当初からロックフェラー財団と深い繋がりがあり、ロックフェラー財団から莫大な資金を受け取っていた。ロックフェラー財団及びもう一つの資金提供団体であるミルバンク・メモリアル財団には大がかりな優生学政策と広い人脈があった。
国際連盟保健機関の少なくとも2人のスタッフは、これらの財団のどちらかに所属していた。
そのうちの一人で、ミルバンク・メモリアル財団の所長だったフランク・G・ボードロー博士は米国を「代表」してWHO憲章に署名した。国際連盟保健機関は優生学には全く関与していないと主張していたが、成人のハンセン病患者の不妊手術の義務化などあからさまな優生学政策を打ち出していた。
ブラジルの熱心な優生学者だったSouza博士そしてWHO設立の策謀者らはみな国際連盟保健機関に所属していた。


33)国際連盟保健機関はファシスト国家だったイタリアと協力していたため、関係者らはイタリアを何度も訪れていた。


34)国際連盟保健機関は、戦時中、スペインのフランコ政権がドイツのナチスと協力関係にあったことを知りながら、スペインとも協力関係を結んだ。また、ロックフェラー財団は、戦時中、スペインがナチスと協力関係にあったことを知っていながらスペインに保健所を設置し資金を提供していた。 

 

35)国際連盟保健機関は、戦時中、ナチス・ドイツと協力関係にありドイツに疫学に関する情報を無償で提供した。さらに、国際連盟保健機関は、戦時中ずっと、ナチス党員だったドイツ政府元職員のオットー・オスラー博士にナチスに最新のデータを販売させていた。1942年1月までに彼がナチスに販売した情報は膨大だった。このような情報提供は、ナチスに「よろしく」と伝え「ハイル・ヒットラー」で結んだ手紙を送った(この機関の)事務局長代行のYves Biraud氏の協力を得て行われた。
イギリス政府と米政府もこれについて見て見ぬふりをし、オットー・オスラー博士や国際連盟保健機関の誰に対しても抗議しなかった。戦後、オスラー博士はWHOとロックフェラー財団に勤務することになった。

また、もう一人のドイツ人医師のフリッツ・ロット博士は、1920年代~1930年代に、社会衛生や避妊など、国際連盟保健機関の取り組みに深く関わり、1933年にはナチス党員となり、民族衛生を含む国際連盟保健機関の健康政策を策定した。
これにより、彼は新しいナチス帝国保健問題センターの副所長に昇進した。
また彼は、優生学に関心を持ち、ナチス配下でユダヤ人組織の粛清など、全ての公民活動を行き詰らせる活動に積極的に参加した。戦後、彼はナチスに協力したとして罰せられることもなく、富裕層が住むバーデンバーデンの開業医となった。

 

36)イギリス政府は、国際連盟保健機関の創設に責任があるにもかかわらず、国際連盟保健機関の横暴と国家主権の侵害に最初からずっと反対していた。
また、イギリス政府は、国際連盟保健機関が個人的なアジェンダや政治で権勢をふるい、ロックフェラーの影響力を受けていたことにも反対していた。しかし、この状況は、戦時中に国際連盟保健機関とロックフェラーの関係者だったマッケンジーとジェイムソンがイギリス政府の保健局の最高位職に就いた時から変化した。

 

37)1946年、国際連盟保健機関はWHOに組み込まれた(合体した)。
Yves Biraud氏(戦時中に国際連盟保健機関を率いていた。)がWHOのトップに就任し、国際連盟保健機関のスタッフはみなWHOに雇われ、国際連盟保健機関が行ってきた殆ど全ての政策がWHOに引き継がれ、その背後にいる非常に巨大な権力と資金の恩恵を受けていた。

 

38)1943年、連合国救済復興機関が、米国から巨額の資金援助を受けてルーズベルト米大統領(そして名目上は他の国々も関与したことになっている)の下で設立された。この機関は難民や避難民を助けるための機関ということになっていたが、実際は、WHOに先行して、憲章に書かれていたたった6つの言葉(疫病予防の支援)に基づき、国際連盟保健機関から引き継いだ疫学、監視サービス、巨大な公衆衛生の権限を使って、彼らが標的にした全ての人々に強制的にワクチンを接種していた。さらに彼らは1944年の国際衛生条約を全世界に強要した。

 

 

39)米政府とロックフェラー財団が保健と公衆衛生の支配権を掌握すると、彼らはその支配権を決して誰にも明け渡したくなかったため、できるだけ早く、この権利の全てを引き継ぐWHOを設立させることを押し進める必要があった。
なぜなら、連合国救済復興機関の閉鎖が迫っていたことと1944年の国際防疫会議(巨大な権力)が緊急に新たな組織の創設を必要としたためである。
また、彼らは、彼らのライバルだった長い歴史を持つ世界的な「保健」組織をすべて排除し、連合国救済復興機関を国連の支配下に置くプロセスを継続することに熱心だった。

 

 

40)1946年にWHOの「暫定委員会」が連合国救済復興機関(そしてもちろん間接的には米国民の血税も)から150万ドルの資金提供を受けたことがその証拠である。 

 

41)連合国救済復興機関は、1946年~1948年に1億ドルの余剰資金を得て、そのままWHOに姿を変えた。そしてWHOは国際連盟保健機関の前保健部長でユニセフの最高責任者として就任したルートビッヒ・ライヒマン博士に引き渡された。

 

 

42)イギリスの国会が知ることも拒否することもできない状況で、イギリスはWHOに違法に加盟し、主要な規制や財政的負担を負わされることになったとは信じられないことだ。
また、1946年に首相、外務或いは保健大臣がこのことに関与していなかったとか、そのことを知らなかったということもありえない。また、彼らがそのことを知っていたのに、1946年5月~7月の国会記録用にそのことを明らかにせず、国会を欺いたとするなら、それも信じられないことである。

 

 

43)理想主義的で建設的で健康維持増進のための機関とされた1946年当時のWHOが、設立以来、詐欺、腐敗、医療専制など悪の道を辿ってきた2023年の現在のWHOと同じとは言えない。

米国の1946年の社会保障公報は、「WHOは検疫、伝染病の検査、その他の予防措置ではなく、大まかに言えば、健康に対する前向きで積極的な措置に重点を置いた。」と伝えている。
これは、WHOが国際保健規則の修正やパンデミック協定の下でやろうとしていることとは真逆である。また、この公報は、イギリスは無条件に署名しており、他の国々は少なくとも理論的には口先だけの批准をしなければならなかったと伝えている。

 

44)WHO憲章の署名者らは、WHOの結末に恐怖を感じ署名を撤回するだろう。特に、子供、母親、乳児のケアに彼女の全生涯を捧げた米国の署名者のマーサ・M・エリオット博士はそうするだろう。

 

 

45)優生学を押し進め、ナチスやファシストと協力し、ロックフェラーや大手製薬会社に支配され、保健や公衆衛生と言う名の下に世界人類を独裁支配しようとしていた邪悪で悪意のある国際連盟保健機関がWHOの原点(親)であることを考えると非常に恐ろしいことである。
 

46)1946年6月~7月にかけて開催された国際保健会議の出席者らに強力な心理的手法が用いられたされたことは確かである。
これには、「伝染病」や「病原菌」への恐怖を煽り続ける手法も含まれていた。WHO憲章は主に米政府によって事前に作成され、ほんの一部の詳細が同調圧力と総意によってグループ決定された。
この「憲章」への署名は、政府によって適切に考慮されて批准されるか、拒否される可能性もあるという思い違いをした代表者らに無理やり押し付けられた。もちろん、実際は、そのようなことは起こらず、イギリスでは審査や批准の手続きは全くなかった。

 

47)1945年と1946年の会議の出席者らは、最高品質の食べ物と飲み物が豊富に提供され、数多くのカクテルパーティーや社交があったと語った。戦時中の物不足に慣れている人々にとって、これは、ホスト国の米国が望むものに足並みをそろえさせるための賄賂だった。
出席者の多くは、その後、国連やWHOの非常に高給な最高位職に就いたり、ロックフェラー財団や米政府から助成金、資金、便益を受けた。

 

 

48)イギリス国民と国会は、1946年から現在(2023年7月)までの77年間、WHOの違法加盟の経緯について全く知らされず欺かれてきた。

 

 

49)上述した事実に関して、我々は、「イギリスは違法にWHO憲章に署名したため、WHOの正式(合法的)な加盟国とはいえず、2005年国際保健規則の修正及びパンデミック協定の対象国ではない。」と考える。
さらに、イギリスはWHOのいかなる指図や命令にも従うべきではなく、WHOや他の関連組織にこれ以上財政的貢献をするべきではない。また、WHOは故意に批准を回避してマッケンジーとイェイツに違法に憲章に署名させたため、過去にWHOに支払われた「寄付金」は全て返還されるべきである。

 

 

 

50)WHOの他のいわゆる「加盟国」は、WHOの不正行為とWHOへの加盟によってどのような結果になったかについて調査すべきである。WHOへの加盟には批准や国民投票が必要であると言われていたのにそのようなことは行われなかった。そして、WHOに加盟後の悪影響やWHOが国民の自由に対する巨大な脅威であることが明らかになったのにもかかわらず、どの加盟国も脱退しようともしないことは非常に疑問である。

 

今週、イギリス政府は、WHOとテドロス事務局長の2023年の数々の功績に祝辞を述べた。