国が侮られ、民族が侮られるということが国の内外でどういうことを招くのか。
私たちはビタミンからも、それを学ぶことができます。
学校では、国は悪いことをするものだから、それを監視するのが国民の仕事などと教えますが、そのような反日的なドグマに浸った考え方や行動は、かえって身の破滅を招くものです。

 

20171127 鈴木梅太郎
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9年前に日心会で紹介されたお話です。
ビタミンの発見が日本人であったこと。
それが国際関係の中で、日本人の発見ではないものとされたこと。
そして名誉が回復されたけれど、いまでもその影響が残っていることのお話です。


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だんだん寒い日が続くようになりました。
冬の風邪の予防には、うがい、手洗い、そしてビタミン類が多く含まれた食品を摂る事が重要とされています。
ところで、この「ビタミン」という栄養素ですが、発見者は日本人ということをご存知でしょうか?
今回は、ビタミン発見に深い関わりのある二人の日本人について、ご紹介します。

ビタミン不足は様々な病気や体調不良の原因になりますが、「脚気(かっけ)」もその一つです。
「脚気」とは、主にビタミンB1が不足するため、手足のしびれや全身倦怠、足のつま先が上げられなくなり、つまずいて転びやすくなる。
また、動悸、息切れ、低血圧、むくみ、頻脈、食欲不振、吐き気などが起こり、さらに進行すると歩行困難になり、最終的には心不全で死に至る病気です。

古くは「日本書紀」や「続日本書紀」の中で脚気と思われる記述があるほか、元禄時代には「江戸わずらい」と呼ばれ、江戸特有の風土病として恐れられていました。
地方の農民が雑穀を主食にしていたのに対し、江戸の町民は白米を主食にしていたので、玄米を食べれば摂れるビタミンB1が糠をそぎ落とした白米では十分摂れなかったのです。

江戸を離れ、雑穀を食べ始めると回復に向かうのも風土病とされた一因ですし、江戸で蕎麦が普及したのは、ビタミンB1を多く含む蕎麦が不足する栄養を補う意味もありました。
江戸の人々は、蕎麦を食べれば脚気が治る事を経験から知っていたのでしょう。

さて、時は流れて明治時代。
列強の帝国主義に負けじと近代的な軍隊を整えた日本ですが、脚気の猛威は相変わらずです。
陸海軍共に大事な兵士が脚気により死亡する例が後を絶ちませんでした。

1883年、当時海軍医務局長だった高木兼寛は、「西欧と日本における軍隊の違いは、食事にある」と考え、それまでの白米中心の食事からパン(後に麦飯)と肉類を中心とした食事に切り替えるように提唱します。
高木の説を取り入れた海軍では兵士の栄養状態が改善され、海軍の脚気患者はみるみるうちに激減していきました。
脚気患者がほとんどいなくなった日本海軍は、日露戦争における日本海海戦にて当時世界最強の名を欲しいままにしていたロシア海軍バルチック艦隊を打ち破り、日本を見事、大勝利に導いたのです。

ところが、ドイツの細菌学を参考にしていた陸軍では、「食事の改善などで脚気が治るはずがない」と唱え、白米食を続けました。
このころ、「脚気の病原菌が発見された」との誤った発表もありましたし、故郷を離れ、命を懸けて国防の任務にあたる兵士には、当時贅沢とされた白米を与えたい、という思惑もあったでしょう。
最後まで病原菌説を曲げなかったのが、文豪としても有名な森鴎外でした。
その結果、陸軍では多くの兵士が脚気によって命を落としています。
しかし、だからと言って当時の陸軍や森鴎外を責めることは出来ません。
最新の研究結果を踏まえた現在の物差しで当時の実情を図ることは、歴史を検証するうえで不適当です。

世界で初めてビタミンを発見したのは、鈴木梅太郎という人物です。
彼は脚気にかかった鳩に米糠を与えると症状が改善される事を突き止め、1910年、米糠から脚気に有効な成分の抽出に成功します。
同年12月13日、この研究を発表し、抽出した成分を「アベリ酸」と命名、後に「オリザニン」と改名しますが、これこそ現在の「ビタミンB1」なのです。

その後も彼はビタミン研究に心血を注ぎ、オリザニンの結晶化に成功。
1937年のフランス万博にオリザニン結晶を出品し、名誉賞を授与されています。
また、脚気治療薬「オリザニン」の製品化にも大きく貢献しました。
この治療薬のおかげで更に多くの人命が救われたことでしょう。

食事の改善という発想で日本海軍を影で支えた高木兼寛。
ビタミンの発見により、脚気の予防や治療方法を世界で初めて科学的に証明した鈴木梅太郎。
この二人の大きな功績が礎となり、世界中の研究者によってビタミン不足から引き起こされる様々な病気の予防策や治療法が確立されていきました。

有史以来、洋の東西を問わず、人類を苦しめ続けた難病「脚気」。
その苦しみから世界中の人々を解放する糸口を見つけたのは、我々の同胞、日本人だったのです。

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生物の生存に必要な栄養素には、有機物と無機物があります。
無機物の代表がミネラルです。
有機物の代表が炭水化物・タンパク質・脂質で、これ以外の有機化合物を総称したものが「ビタミン」で、現在、ヒトに必要なビタミンとしては13種類が認められています。

ビタミンという名称は、ポーランドの生化学者であるカシミール・フンクが命名しました。
フンクといえば、15人の子持ちの絶倫家としても有名ですが、それはまた別のお話。

彼は脚気の原因を研究し、明治44(1911)年に、米ぬかに含まれる化学物質が欠乏すると脚気が起こることを発見しました。
そしてその物質には、アミンの性質があることから、それに「生命に必要なアミン」という意味で「vitamine」という名称をつけました。

フンクが発見したビタミンも、いまでいうビタミンB1です。
ところがフンクが発見する1年前の明治43(1910)年6月14日に、鈴木梅太郎が同じく米ぬかからビタミンB1の抽出に成功し、その論文を発表していました。

この同日に発表されたこの論文は、「白米の食品としての価値並に動物の脚気様疾病に関する研究」という名称で、
1 ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気様の症状がでて死ぬ
2 糠と麦と玄米には脚気を予防して快復させる成分がある
3 白米にはいろいろな成分が欠乏している
という内容の論文になっています。
そして彼は、同年12月13日には、「糠中の一有効成分について」を発表し、糠に含まれる有効成分に「オリザニン」という名称を付けました。

日本語で発表されたこの論文は、翌年にはドイツ語に翻訳されて世界の研究者に紹介されるのですが、このとき、なぜか「オリザニンは新しく発見された栄養素である」という一行が翻訳されませんでした。
理由はわかりません。
ただ、当時の世界は、まだまだ人種差別全盛の時代だったこと、日本人は欧米人たちからみて、黄色い猿でしかなかったことなどから、有色人種ごときに新しい発見などできる筈がないとされたのかもしれません。

あるいは当時、鈴木梅太郎は、多くの学者から「百姓学者」と罵倒されていました。
翻訳洩(も)れも、そのことが原因だったのではないかという人もいます。
それまで、米ぬかに脚気を治す成分があるなどとは、誰も説いていなかったのです。

学者さんには二通りの人がいます。
ひとつは、先輩学者の言うことをただ鵜呑みにして、そのドグマから一歩も出ない人。
もうひとつは、新しい説を立てて行こうと努力する人です。
そしていつの時代も、世間は既存の力を持つ者の味方です。
ですから前者には力があり、後者にはそれがありません。
そして新しい説を立てる人は、いつの世においても、馬鹿にされ、罵倒され、悪口を言われ続け、そして時代を変える発見をしても、それは世間に出る前に潰されるか、無視されることになります。

そして鈴木梅太郎の研究は、結果として世界の学者達から注目されることなく埋もれてしまうのです。
この研究論文に啓発されたのかどうかまではわからないことですが、不思議なことにその翌年、フンクが米ぬかから抽出した同じ物質に「ビタミン」と名前を付けました。
そして今でも日本国内では、「ビタミン」の名称が一般的になっています。

ところが世界は不思議なものです。
鈴木梅太郎の研究はその後の世界で再評価され、医療の最前線では「オリザニン」という名称が使われるようなりました。
我が国の医療機関でも、外国から輸入した最前線の医療分野では、「オリザニン」の名称が使われています。
その一方で日本国内では、一般的にはいまだに「ビタミン」です。

さて、誰からも評価されなくても誠実を尽く鈴木梅太郎に、神様は不思議なプレゼントをしてくれました。
当時の日本は、第一次大戦のあとの戦勝景気のあとに襲った大不況と米不足の中にありました。
そうした中にあって、酒が飲みたくても価格が高くて飲めないという人が多く出ました。
そこで神様は鈴木梅太郎に、合成酒の作り方を教示してくれたのです。

この合成酒は大正7(1918)年には商品化され、またたく間に大ヒットなりました。
いまでも価格の安い日本酒の多くは、その合成酒の手法で造られていいますし、コンビニで売られているビールの発泡酒も、まさにこの合成酒の技法を用いて製造されているものです。
要するに発酵させてお酒を作るのではなく、アルコールにアミノ酸などを加えて「お酒みたいなもの」にした製品です。
この合成酒というのは、それまで世界になかったものなのですが、いまでは世界中で造られ、売られるようになりました。

知識は神々のものであり、その知識を我々人間は「使わせていただいている」というのが、古くからの日本人の思考です。
そして神々の「たから」は、民にあります。
だからこそ、世のため人のために最善をつくす。不断の努力を惜しまない。

鈴木梅太郎の「オリザニン」の発見も、合成酒の製造も、まさにその神々のお心の前に謙虚にあったからこそ生まれた新しい技術であり人類の知恵であったものと思います。
自分のため、自分の欲望のためではなく、世のため人のために持っている知識や経験を活かす。

教育勅語にも次の言葉があります。
「恭倹己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 
 学ヲ修メ 業ヲ習ヒ
 以テ智能ヲ啓発シ 徳器ヲ成就シ
 進テ公益ヲ広メ 世務ヲ開ク」
まさにこの心が、私たちの祖先がのこしてくれた遺訓です。
昔も今も変わらない、世界に通じる正しい心なのだと思います。

不思議なことに、日本人が失ったその心を、いま欧米諸国の人々が必死になって学習している。
私たちは、すこし立ち止まってそのことを考えなければならないのではないかと思います。


※この記事は2012年2月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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