159人の幸せへのバトン。 | ~新しい未来へ Keep it real〜

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ゆりかご15年、159人の一人の僕  大切なのは「その後」の人生

熊本日日新聞 | 2022年03月26日 より転載

「こうのとりのゆりかご」に預けられた宮津航一さん(中央)。みどりさん、美光さん夫婦の深い愛情を受けて育った=16日、熊本市東区(谷川剛)

 【いのちの場所 ゆりかご15年】 第1部 家族になる 航一さんのこれまで① 

 満開の菜の花が輝いていた。今春、熊本県立大に入学する宮津航一さん(18)=熊本市東区=は、少し照れたような笑顔で家族写真に収まった。「まぶしいくらいの日差しだね」。視線の先には、笑顔の父と母がいる。

 航一さんは、2人の実子ではない。高校2年の時、里親の宮津美光さん(64)、みどりさん(63)夫婦と養子縁組をした。2人は法的に親子となる前から、身を寄せる家がない航一さんと暮らしてきた。我慢強く転んでも泣かなかった幼児は、中学校では生徒会長を、高校では陸上部主将を務めるほど積極的になった。夫婦はたくましく育ってゆくわが子を、そばでずっと、見守ってきた。

 一つの家族の始まりは、15年前にさかのぼる。2007年5月、熊本市西区の慈恵病院に、親が育てられない子どもを匿名でも預かる国内で唯一の「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が開設された。20年度までに159人が預けられたが、そのうちの一人が、航一さんだった。

自宅の前で「ゆりかごに預けられた後の時間が大切」と語る宮津航一さん=16日、熊本市東区(谷川剛)

 航一さんには、ゆりかごに預けられた時の記憶が残っているという。

 「ゆりかごの扉があって、タクシーか何か分からないですけど、緑色の車が1台、その後ろに止まっている。そのワンシーンだけが、頭の中に写真みたいにあるんです」

 航一さんは直前まで面倒をみていた親戚に連れられて熊本に来た。ゆりかごの中の赤ちゃん用ベッドに、きょとんとした表情で座っていたという。その後、児童相談所に一時保護され、数カ月後、里親の宮津美光さん(64)、みどりさん(63)夫婦に託された。

 宮津家で過ごす最初の夜、航一さんは美光さんと一緒に風呂に入った。お風呂上がりに、小さな体をタオルで拭きながら、みどりさんが「よかったね、お父さんと一緒で」と声をかけると、航一さんはぱっと後ろを振り向き、誰かを探すように周囲を見回した。「本当のお父さんが来た、と思ったんでしょう。言葉には出さなかったけれど、すぐ分かった。すごく慌てました」とみどりさん。それまでどんな生活をしていたのかと尋ねると、電気が走ったように表情が固まったという。

保育園のころの誕生日、家族手作りのケーキに喜ぶ宮津航一さん(本人提供)

 ゆりかごには、身元を示すものは残されていなかった。名前も出身地も分からない捨て子(棄児)として、幸山政史・熊本市長(当時)が一人戸籍を作り、命名した。「航一」という名前には、ゆりかごという小さな窓から広い海原にこぎ出していくように、可能性が広がるようにとの願いが込められている。

 名前に込められた願いに背中を押されるようにして、航一さんは育った。夫婦の実子5人は兄代わりで、航一さんの目標になった。宮津家は、家庭内に複数の里子を受け入れるファミリーホームを運営しており、家庭内はいつもにぎやかだった。

 「両親にも兄たちにも大切に育てられて、いろいろな思い出がある」と航一さん。「ゆりかごの後も、人生は続いていく。そっちの方が、ずっと長いし、大切なんじゃないでしょうか」

 以前から、社会に向けて自分の経験を伝えるべきだと感じていたという。18歳になったのを機に語ることを決めた。熊本で家族と過ごした日々、出自を探す旅、ボランティア活動を通して気付いたこと-。

 ゆりかごに預けられた子どもは、特別養子縁組や養護施設などで育つ。出自が分からない子どももいる。「ゆりかごに預けられたことで、親と引き離されたという思いを持ち続けている子もいると思う」と航一さんは言う。「でも159人の命は守られた。ゆりかごに預けられたけれど、幸せに暮らしているよ、と僕は伝えたい」(「ゆりかご15年」取材班)

   ◇     ◇

 「ゆりかご」は5月10日で開設から15年を迎える。赤ちゃんの命を守る〝最後の砦〟として159人の命が託された。母親の匿名性、子どもの「出自を知る権利」。ゆりかごはさまざまな課題を社会に問い続けている。連載では、命の現場をたどり、家族のかたち、支援の在り方を考える。

 

熊本日日新聞 | 2022年03月26日 より転載

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15年前に赤ちゃんポストの事を知ったときには

どうなんやろう??と懐疑的でしたし

わからない?でした

 

預けられた方の人生を初めて知りました

すごく良い家庭に恵まれ開けた人生を送っておられます

 

15年で159人とは驚きの人数でしたが

手放す親にも凄い葛藤があったでしょう

子供を愛さない親はいない?

子供を愛さない親もいると思う

でも親を愛さない子供はいない

 

いたたまれない事件になる前に決断して凄い事

159人の新たな幸せへ扉への決断が出来た親は偉いと思う

 

そして宮津航一さんお名前の由来も感激

当時の熊本市長が命名されたそうです

ゆりかごという小さな窓から広い海原にこぎ出していく様にと

 

 

慈恵病院では現在内密出産で法整備も進まず難しい問題と直面

これも新たな命の為に一所懸命動かれています

母子手帳の交付はされたようですが・・・

生まれた瞬間から人権ある個人ですから適切な法整備が望まれます