言語における地域性の考察及び絞殺(笑)。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

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ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

*写真がテーマと何も関係無い事は一目瞭然~(笑)。



読者になって下さっているmothra-flightさんが、
面白いテーマを下さいました。
mothra-flightさんは物事を真摯に受け止めて
深く掘り下げて考える方なのですが、
私はオチャラケですので、
笑って読んでくれれば嬉しいです。
さて、言語学の書籍を開いた事も無い人間が、
どう講釈するのでしょうかぁ~(笑)。


言語が口語体と文語体に分別される事は、
誰でもご存知だと思います。
この理由は極めて単純で、過去において、
『書く』と言う行為を必要としていたのが、
一部の人間だけだったと言う事や
人間の生活範囲が極めて狭かった事が背景に有ります。
現在、日本語と言われている言語も
長い時代の過去には様々な地域的言語として、
それぞれの地域に密着した変化をしてきたと思います。
現在はそれらの集合体を一つの言語の構成の上で統一し
日本語と表されていると思います。

現在の日本国において文盲率は、
世界的な基準を用いなくとも大変低いものになっています。
その為に口語体と文語体が複雑に影響しあっていますが、
ほんの少しの過去までは、
まだまだ別々のものとして扱われていました。
今では冗談にもならなくなったものですが、
『てふてふ』と表記して『ちょうちょ』
と読ませると言う事が当たり前の時代は、
それほど古い過去では無いのです。

言語の統一は支配する側からは極めて重要な事で
宗教とともに何よりも早く着手される事項になっています。
日本国内でも古い時代から遂行されてきた事を
推測する事は簡単なことでしょう。

さて所謂標準語に関してですが、
関東圏の方言とされる言語と
標準語と言われる言語の発音には、
少々開きが感じられます。
特に東京の言語を標準語と規定すると
その周囲の言語との異差が
あり過ぎる事に気がつくと思います。
これは標準語と言われる言語が、
外部からもたされた物、
或いは基準として自然発生とは別の形で
規定されたものだという事を示している現象だと思います。

また東京に極めて長く住んでいる家族が
使用する言語の発音や
電車、バス等の公共交通機関の中で聞かれる発音にも
標準語との異差を感じますし
何よりも一般的に使用される口語体自体が
純粋な標準語と言われる形態に順ずる事は
極めて珍しい現象だと言えると思います。

現在の口語体と文語体の関連性は端折りますが、
(めちゃくちゃ長くなるから書くの嫌です/笑)
言語の地域的特長が失われていくのは、
現実として仕方の無いことでしょう。

情報の速度、量、形態の著しい変化と
文語体中心の教育の全国的統一が行われる限り
単語としての地域性は残りながらも
言語形態としての地域性は失われ、
統一化、平均化の方向へ進むのが現実であると思います。

何を話しているのかわからない人が
少なくなった時代を危惧するのも面白いでしょうが、
地方を蔑視するという行為が有る限り
無理な問題と言うのが現実でしょうね。


[追記]
大阪の万博跡地だったと思いますが、
民族資料館のようなものが有ります。
二三度程行った事が有りますが、
大変面白かったと記憶しています。
今でも有るのかな?