あの日から1年になります。

2011年3月11日。
東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

犠牲となった人の数は2万人近くであり、これは私の住む町の隣町の人口に匹敵する数です。
今でもとても信じることができません。

それも尋常な亡くなり方ではありません。津波にのまれて溺死、倒壊した建物の下敷きになり圧死、高所からの転落死、強い揺れによるショック死…
亡くなられた方の苦しみを考えると言葉が出ません。
心から深い哀悼の意を表します。


私は震災の起きた3月11日、地元ボランティア活動の人とともに被災地を訪れました。
日帰りでハードな日程でしたが、宮城県と岩手県の両県に行きました。
地元からの義捐金をお渡しし、現状を見るとともに、追悼式のへ参加、さらに瓦礫の撤去作業などの奉仕活動を行うことができました。

被災地は、石巻市や気仙沼市などは大きな被害もありましたが、街そのものは次第に活気を取り戻しているように感じました。
しかし南三陸町や陸前高田市などは、依然として倒壊した建物がそのままになっており、さながら道路しか存在していない瓦礫のみの更地のようになってしまっていました…

陸前高田駅など、もうまるで廃線跡のようになっていて、駅舎も線路も何も残っていませんでした…
鉄道だけでなく商店街もショッピング街も、もう廃墟と瓦礫の中に道路しか走っていないという風景が広がっていました…

とても信じられない光景でした。まぎれもなく現実に起きた大災害に言葉を失ってしまいました…


震災は当時、私たちの生活も変えてしまいました。
道路の通行止めによるガソリン不足で、給油がままならなかったこと、コンビニで品物かなくて買えなかったこと。
物資が手に入らないという事実に、ここが日常ではない災害事なのだと実感しました…

そして福島原発の事故による電力不足。そして計画停電。
当たり前に供給されていた電気が不足し停電を余儀なくされました。
当時は私も不便だなと感じることばかりでしたが、被災地の人たちを思うと
これくらいで嘆いてはいけないと思っていました…


震災から1年。私たちの生活の中では価値観が少しずつ変化していくこともありました。
人とのつながり、絆を再確認した1年でもありました。

やがてこの震災が歴史となり過去の時代となる日も訪れますが、いつでも日々の備え、災害の教訓を忘れないように生きていたいです。
私は海のない県に住んでいますから、今回津波の被害を見られたこと、とても貴重な教訓でした。

私はこれまで大学・大学院と政策学について学んできました。
被災地のため、人のため、社会のため、このような状況下から何ができると自問したとき、ハーバード大学公共政策大学院「ケネディスクール」のジョセフ・ナイ前学院長の言葉を思い出しました。
『公共政策大学院を卒業する君たちの全てが大統領や総理大臣になるわけではない。しかし君らが社会に復帰して、どんな小さな部分でも何らかの仕事を任されたとしたら、その君らが任された世界の小さな部分をよくするよう努力してほしい。一人一人が任された部分が小さなものであっても、一人一人がその小さな部分をよりよく変える努力をすれば、世界全体を変革することができる。幸運を祈る』
(2003年度ケネディスクール卒業式にて)

今は、犠牲者の死を無駄にしたくないという想いです。
これから人や社会に貢献できる自分でありたいと、今はまだ微力ですが、そのように思っています。できることから少しずつ私の回りの防災対策から、今後のありかた、社会政策、さらには原発のことになどについても考えていきたく思います。



今まで、
群発して起きた地震の揺れを感じつつも、その情報や被害をテレビや新聞、ネットなどで見ていた自分…
被災地のこと、災害のこと、映像や画像を通したアンリアルに感じていた。

2012.3.11
実際に被災地で見た街、景色、その被害…

アンリアルが私を飲み込んだ
震災は本当にここにあって、私にリアルを突きつけた
まぎれもない事実がそこにあった…



本来なら3.11付けにてアップすべき日記でしたが、11日の帰宅は日付変わった午前2時で、以降2日連続で仕事から帰宅後に寝落ちしてました。
少しばかりここ数日はハードでした…