今日は初めて「君の名は」という映画を観た。

すごく良かったという感情のほかに

疑問に感じたことを自分なりに考察してみた。


ネタバレになるから

この先読む場合には注意です。




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そもそも時間の差がある空間で知り合った

2人の話は、私達が実際に生きている世界と世界のはざまにあるような氣がした。


よく潜在意識がどーのこーのと聞くけど

まさに私たちが見えない部分で起こったできごとの話がこの作品だと思う。


具体的には、

2人の人格が、身体が入れ替わっていた現象というのが、2人の意識していないところで起こっていた現象だとする


だから忘れているけど、どこかで覚えてる

その忘れているけど、何だか氣になる

覚えているという最後のシーンというのが

2人にとっての表面的な時間と世界


だから身体が入れ替わって糸守町を救うという出来事は、2人が意識していない潜在意識の中で起こっていた現象

というふうに私には感じられた


そのみえない潜在意識の世界に焦点を合わせて描かれた作品、という感じがして実に楽しかった


想像がふくらむからだ

もしかしたら私の知らない深層意識の中では

似たようなことが起きているかもしれない

誰かどこか遠くの別の次元の意識と電話するみたいに繋がる事があって


そしていまの私のいる現実の世界へ変化していったきっかけが、把握していない物語が、

私の表面意識では認識できない何かが隠れていたのかも、とワクワクする



そして1番心に残るシーン

あの火山口のふちで、姿のみえない2人が

声をかけあって

同じ空間を交差するシーン

光の輪の中にお互いの存在がたしかに生きている時間を重ねるシーン


そこで疑問に感じたのが、

なぜ別次元にいるはずの2人の’’声’’だけは

認識することができたのか


だって本当なら3年前の空間にいるはずのみつはと、

3年後の空間にいるはずのたき。


同じ場所とはいえ、時間はズレている

そこで2人の声だけは認識できた

その時間がちょうど「片割れ時」という時間だった。


国語の授業のシーンで

「朝でもない夜でもない時間」という

ようなことを先生が発言していたような気がした(うろ覚え)


ということはちょうどその時間は

2つの世界を繋ぐ「はざま」の時間で

もしかしたら片割れ時 もしくは かわたれ時?(彼は誰時)

というのは、そういう時間や空間が曖昧になるエネルギーの流れを持っているのかもしれない

と思った(勝手に)


だから別の次元にいる2人が声も聞けて

出会うこともできたのかもしれない

次元と次元を繋ぐ時間だから

朝から夜へと繋ぐ時間


もともと「声」というものは

次元を越えて何かを届ける能力を持っているような氣もする


物理的には喉が振動して音が出ていると

声になると思うが(ざっくり)振動させるエネルギーはみえない

音が空間を伝うという現象もみえない

声というのはもともとみえない世界の私たちの’’証’’

’’魂の証明’’みたいなもののように感じていて

だから、次元や時空を越えて互いの声だけは

認識することができたのかな、というざっくりしたイメージも湧いてきた


声ってやっぱり不思議だよね

歌もそうだと思う

目に見えない音の世界の作品を時空や次元を越えて現実世界に響かせているわけだから

声というのはそれだけで

私たちがみえない世界と繋がれる唯一の身体の機能?と言っても良いくらいかも

なんてね


書きたいと思った内容はこのくらいかな

あとは頭の中でまだ感動やら疑問やら考察やらが巡り巡ってまだ作品の続きを楽しんでいるみたいなので

自由にさせておきます


素敵な作品をありがとうございました。