中島 敦『盈虚』 | 本を読んで考えたこと

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盈虚とは月の満ち欠けのことであり、人の栄枯になぞらえることもある。栄えることも枯れることも、なんのために起こるのだろう。単純な因果によってだろうか。そうだとしたら、胸に収めることも容易かもしれない。けれども、環境の中の存在である「私」や「あなた」の物語に見舞う悲劇は「私」や「あなた」による行動の単純な結果とは言えないだろう。だから、時々私は堪らない気持ちになる。それで空を見上げて、月齢の浅い、いかにも脆そうな弓型の月に祈る。

中島の描いた『盈虚』とは以下のようなものだ。衛の太子である蒯聵は父を欺いた義母を討とうとするも失敗し、流浪の民となる。それでも祖国の王となる望みは潰えず、ついには王の座にあった自身の子を追い、王となる。しかし、また別の子により、その座を奪われ、最後には命を落とす。
一国の太子から流浪者へ、それから王へ、そこから追われ、最後には死へ。この一連が、蒯聵の行動とその結果によるものとは言い難い。義母は富を得るために父を欺き、父は義母からの偽りの愛を守るために子である蒯聵を討とうとする。蒯聵は自身の子を自身の地位を奪ったものとし憎み、王の座に就いたなら、それまでの不遇の補償とするように衝動に身を任せる。そして、また別の子は、父により地位を追われるという疑心のために父を討とうとする。
それぞれの衝動や願いがぶつかり合ったために、何に因ってこの悲劇に至ったのか、登場人物の誰も分からなくなる。

私は弓型の月を見つめたままでいる。月に祈っても、月は逃げるように遠ざかるばかりで、その形は満ちることがない。満月は月齢14.8。それが現れるのはまだ先のことだ。自身のものではない月を、自身のためにのみ満たそうとするから「私」や「あなた」を取り巻いた環境は歪んでしまうのかもしれない。月が満ちるのを望むのは自身のみではないということに思いを馳せる。これが悲劇を免れる術なのかもしれない。月は私の願いのみを受け、私へと照るのではない。眠ることの出来ない多くの人々の願いを受け照り輝いているのだろう。盈虚/作者不明

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