東京都のシルバーパスが、PASMOと合体した。

これまで、磁気カードだったシルバーパスだが、
年度切り替えの10月から、PASMOに一体化するという話を以前書いた。

 


申し込みの書類を送って、
費用の振り込みをして、
手続き完了のお知らせが届いたので、

手持ちのPASMOに、シルバーパスの情報を読み込ませる操作をしてきた。

最寄りの駅では対応の券売機が無いので、
ちょっと遠くまで出かけるついでを待って、やってきた。

 

これまでの磁気カード式のが、これ。


 

これまで使っていたPASMOの表面に、シルバーパスの文字が印刷されて、

PASMO一体型シルバーパスとなった。

 

 

これで、都バスや都営地下鉄と東京メトロの地下鉄を、この1枚で乗って行ける。
メトロの乗車部分だけの料金が、チャージした金額から引かれていくわけだ。

もちろん、JRに乗るときもPASMOとして使える。

コンビニとかでも、従前どおり、PASMOとして買い物に使える。

駅の券売機で、シルバーパス情報を読み込ませる操作をしていたら、
後ろから「ここでできるのかしら?」と声がするので、振り向いたら
PASMOを手にしたご同輩、シニア女性が困ったような顔で立っていた。

ここにタッチしてここが光るからPASMO入れて待ってると出てくる、と
言いながら手伝って、無事完了。

まあ、シニアだからな、ちょっと戸惑うが、なんとかなる程度だ。

しかし、

今まで通りの磁気カードのシルバーパスのままでいいのに、
PASMOは使ってないし、要らないのに、
磁気カードのままでいいという選択肢もなく、
磁気カード廃止してPASMOにすると言い、
さらにPASMO使ってない人には初期費用1,000円かかる、というのは
一方的で納得できない、


という意見があるのを知って、なんだかなあ、と思う。

たしかに、理屈はその通りだ。

でも、PASMO一体化で便利になるし、

そもそもPASMO無い人は初期費用1,000円かかると言っても、
これはシルバーパスなんだよ、
基本のシルバーパス登録費用の1,000円を払えば、
都営バス、都営地下鉄が、1年間乗り放題だよ!
1回だけ追加料金1,000円かかるのがそんなに問題なのか、と思う。

PASMO使ってなかった人には、無料でPASMOをくれるのが当然だとでも言うのだろうか。

それに、これまでPASMO使ってた人は、初めてPASMOを使い始めるときに

やっぱり初期費用をかけていたわけだし。

PASMOといってもモバイルPASMOにしろ、
スマホにシルバーパスのアプリを入れろとか言われたら、
それはダメだろうと、わたしも怒るが、

現金をチャージして使う、カード式のPASMOは、
現金派の高齢者には(わたしもそうだ)、
(老眼の目で財布の中の小銭を探すのが辛いのだから)

ずいぶん便利なものだと思う。

あえて言うなら、
コンビニならたいていどこでもPASMO使えるけど、
まあ、お店によっては使えないところもあるわけで、
そこらへんは、仕方ないの範囲だろう。

コンビニでPASMOで買い物しても、ちゃんとレシート貰えるし、
現金と同じ感覚で使えるのだから、
むしろ、PASMOは高齢者向きだと思う。

ともあれ、現行の磁気カード版は9月末までで終了。
来月からは、このPASMO版を使うことになる。
都バスと都営地下鉄を使って、秋の都内散策を楽しめるといいな。

 

 


 

本人に返信するつもりは無いし、
引用RPでも本人に通知が行くし、
それでなくても書けば長くなるので、
こっちに、独り言を書くことにする。

何の話かよくわからないというむきもあろうかと思うが、
詳しく書けば余計なことを書くことになるので、

つまりわたしの言いたいことだけ書く、ということで。


出入り禁止になった店舗で顔見知りだった人たちと
別の店舗で初めて顔を合わせたら、
ほとんど会話もなく、避けていく人もいた、と。
人ってそんなもんなんだ、と。


読んで(ああ、やっぱり)と思った。

そこの店舗は出禁になったので会えなくなったけど
よその店舗で会ったら、
久しぶり!元気だった?と歓迎してもらえると思ってたのかね。

若いスタッフを何度も強く叱って怯えさせて、
店長が「スタッフを守るのも店長の仕事です」と言ったそうだが、
叱られて怯えたスタッフだけでなくて、
その場そのまわりに居たお客さんたちも嫌な思いをしただろうと思わないか?

たとえば職場で、
本人に100%落ち度があって、叱られて当然という場合であっても、
若手が上役からボロクソ叱られている姿を目の前に見せられたら、
自分に関係ない場面であっても、気持ちのいいものではない。

(嫌な気持ちにはならない、落ち度があれば当然、と思うタイプの人は、パワハラ気質だろうとわたしは思っている)

この店舗で、本人は、客の立場で正論を言っているだけのつもりだろうが
周りの客は、(そんな言い方しなくても…)とか思ってたのではないかと思う。

店側が、困った客認定をしていたと同時に、
顔見知りのお客さんたちも、やりにくいやつ認定をしていたと思う。

だから、店長が出禁にしてくれたと知って、ほっとしていただろう。
もう会いたくないのさ。
よその店舗で顔を合わせるのは仕方ないが、
最低限の挨拶だけで、あとはもう関わりたくない、というのが本音ではないか。

本人が(自分は被害者)という意識を持ち続けているのが透けて見えて、
ただただ、痛ましいと思う。
 

わたしも、以前わずかなやりとりの中で嫌な感じを受けた記憶があるので、

関わりたくないという気持ちは強いが、

 

一人の(たぶん孤独な)シニア(元プロ)ボウラーを、

昔取った杵柄、という誉め言葉で紹介できるエピソードがあれば、

自分が感じたその嫌な感じを払拭できるのではないかと思って、

なんとなく見捨てられないのである。

 

 

SNSで、

大腸(直腸)がんの手術後、一時的なストマ(人工肛門)を造設した人の、
率直なつぶやきを目にする機会があった。


ストマパウチの交換など、慣れないことに戸惑う様子が、目に見えるようだった。

うちのダンナは、膀胱がんで膀胱摘出して人工膀胱になった。

もうすぐ5年になる。
左右の腎臓からの、それぞれの尿管をつかう尿管皮膚婁なので、

2か所のストマがあり、尿管にステントが入っていることもあって、
パウチ交換はけっこう難しく、夫婦共同作業である。

退院前に病室に呼ばれて、パウチ交換ができるようにと教わったが、
手術後すぐの時は、ステントが体外に30センチぐらい出してあったので、
それをパウチの中に入れてから接着するのは、至難の業だった。

自慢ではないが、指先手先は器用だと言われてきたわたしだから、
なんとかできたと思っている。
ダンナは、頚椎症もあって指先の感覚が鈍いから、たぶん無理。

今は、体外に出ているステントは10センチぐらいになったので
だいぶ楽にはなったが、
それでも、パウチの面板に尿が付着しないように気を付けながら
(ステントの先からポタポタ落ちるし、ストマから直接出てくるし)
ステントをパウチの中に収めてから接着するのは、
かなり緊張する作業だ。

人工肛門は、飲食の後などに出るが、
人工膀胱は、常に微量ずつ出続けているのである。

うちの場合は、膀胱摘出したので死ぬまで人工膀胱であるが、
一時的な人工肛門の人は、
いずれ、ストマを閉鎖して、自分の肛門が使えるようになるわけで、

たぶん当事者自身は、
自分の身に起きた大きな変化に気を取られて気が付かないだろうが、

一時的にストマ造設してまた閉鎖するなんて、
高度な医療技術で、すごいことだとわたしは思う。

ストマパウチが未発達の時代は、オムツをあてるだけだったらしいし、
(垂れ流し状態だ)
それ以前、ストマ造設が安全にできなかった昔は、
直腸がんは手術できないという時代だったわけで、

今の時代、当たり前のように一時的なストマができるようになった、
手術できて、死ななくてすむだけじゃなくて、
普通の生活を取り戻すことまでできるって、

本当に本当に、素晴らしいことではないか。

さらに加えて、
それが、この国の健康保険制度のおかげで、誰でも受けられる医療であることも、

この上ない素晴らしいことであると、声を大きくして言いたい。

 

そして、大腸がんは、便潜血検査で早期発見ができて、
内視鏡検査で早期発見した初期がんを切除することもできるのだから、

みんな、健診を受けようよ、とも言いたい。

実際、うちのダンナも、ずいぶん昔に健診で陽性になり
大腸内視鏡検査でポリープ切除したのが、初期がんだった。
膀胱がんも、筋層浸潤を確認してすぐ摘出したので、転移もしていない。

一方、ダンナのお兄さんは、痔だといって血便を放置した結果、
肝臓に転移した大腸がんで亡くなっているのだ。

 

わたしの母は、人一倍健康に気を付けていたが、

家族を優先する主婦根性が災いして、定期健診など受けていなかった。

腰が痛くなって病院に行ったときには、すでに末期の膵臓がんだった。

膵臓がんは早期発見が難しいが、

健診を受けれていれば、体調の異変に早く対応できただろうにと、

今でも悔やむ思いが残っている。

 


ともあれ、人は生き物なので、いつかは必ず死ぬ。

だから、命あっての物種だ。
生きること、自分の命を大事に、生きること。
なんたらかんたらあるけど、とにかく、生きてこそだと思う。

 

良く生きよう、努力もして。

賞味期限切れのミックス粉を使ってケーキを焼いた話を、
実は2回も書いていた。

 

 


食パン用の粉と同じ場所に保管していたのに、
これ使おうと思って、別の場所に移しておいたら、
そのまま忘れてしまった、ということのようだ。

(まあ、あるのに同じものを買ってしまうというよりましかもね)

だから、先日富澤商店で食パン用の粉を買ったときに、
やはり、送料無料にしようとしてミックス粉を買ったのだが、
これは、ちゃんと賞味期限が切れる前に使おうと決心した。
 


準備するのは、バターとたまごと牛乳と、チョコレート。
バターもたまごも牛乳も冷蔵庫にあるので、
チョコレートだけ買ってきた。

でも、気が付いたら、ケーキ型が、手持ちのは16センチのやつだが、
これは15センチを使うようになっているので、
慌てて、100均に行って買ってきた。

そして、さて作りましょう、とボウルを出したりなんだりして、
バターを量りに乗せたら、
ちょうど必要量ぐらい残ったやつがあったのが、
レシピの50グラムに2グラム足りない。

別途買ってある、まだ包装を開けてないやつを出してきて、
2グラム切って量るか?

お菓子作りは化学反応だから、材料は正確に量れ、と知ってはいるが、
2グラムだからな、誤差の範囲だ、と自分に言い聞かせて、

そのまま使った。

しかし、
チョコレートは、レシピ80グラムのところ、50グラムしかなかった。

買ったときに、よく見ないで買ったのだ。
ってか、ちゃんと必要量を把握しないで買いに行って
板チョコ、こんくらい使えばケーキ作れるよね、という気分で買ったのだった。

80グラム必要なところ、50グラムしかないのでは、
ずいぶん少ないよな。

でも、チョコレートケーキがチョコケーキぐらいになるなら、
まあ許容範囲の中だと思うので、

そのまま使った。

実はチョコレートケーキを焼くのは初めてなので、
ちゃんとしたチョコレートケーキのレシピを知らないし、
型に入れるときの生地の具合が
普通のスポンジケーキとかパウンドケーキとどう違うのか、
今一つ、わからないままだった。

箱に書いてあるレシピ通りに泡だて器で混ぜたが、
これでいいんだろうか、という感じだった。

100均で買ってきた15センチの型には、クッキングシートを敷いた。
底に、丸く切ったやつを敷いて、
型の高さの幅で円周の長さに切ったやつを、ぐるりと置いた。

で、生地を流し込んだら、生地が底から少し漏れ出てしまった。

100均の製品だから、底板がきっちり嵌ってないのか、
生地がゆるすぎるのか、

よくわからない。

でも、まあオーブンに入れて焼いた。

焼き上がりがこれ。



で、4つに切って、生クリームをトッピングして食べてみた。



材料に使ったチョコレートはレシピよりだいぶ少なかったけど、
なんか、それでよかったみたい、ちゃんと美味しかった。

スポンジケーキみたいにふわふわではなくて、
しっとりずっしりという感じで、普通にチョコレートケーキだった。

ダンナと二人で、2回に分けて食べ切ったので、
このくらいの量がちょうどいいかな、という感じもあった。

パウンドケーキは切っておいて日持ちがするのでいいんだけど、
うちにある16センチの型でスポンジケーキを焼いて、
スライスして間に生クリームを塗ったり、フルーツを乗せたりなんだりすると、
けっこうなボリュームになってしまう。
半分切ってお裾分けするほどの出来栄えでもないから、気が引けるし。

今度、この15センチの型でスポンジケーキを焼いてみようと思う。

 

しかし、改めてミックス粉の箱を見れば、

チョコレートケーキではなくて、ガトーショコラだ。

 

富澤商店のミックス粉は、チョコレートケーキ用というのもあるようなので

両者の違いは何なのか、

この次、食パン用の粉を買うときの調整用に、

チョコレートケーキ用のミックス粉を買って、違いを確かめてみようかと思う。

 

 

苦手な7番ピン、だいぶ取れるようにはなったけど
実は、なんつーか、根っこのところでわかってないというか、
掴み切れてないという感じがあって、

このごろよく行ってるセンターさんのスクールで、
7番ピンだけ集中的に投げて練習してみた。

7番ピン100本ノックである。

メモ帳に1投ごとに〇×で記録していったが、

インサートテープ(親指の背側に貼るやつ)を交換したら、
なんかかえって抜けが悪くなってしまったこともあって、
初めのうちは練習の練習投球という状態だった。

結局、100回投げるつもりが、疲れてしまって64回で切り上げてしまい、
記録した〇×は、圧倒的に×が多かった。

でも、集中的に練習してみた結果、わかったことがあったので、
一歩前進したような気持ちでいる。

ずっと前に、
パーソナルレッスンを受けたけど結局離れることにした話を、
独り言のテーマで書いた。
実は、そこに書いてはいないけども、
7番ピンの取り方についてのトラウマもあって、
それが、根っこのところでわかってない、掴み切れてない、という感じの
原因になっていたのだと思う。

スペアなんだから、取れればなんでもいいので、
自信をもって投げて取ればいい、
というふうに思えるようになってはきたけれど

(でもきっと本当は違うんだ)という澱みが底にあった。

「それは違う」とキツイ口調で言われた記憶が、
喉に刺さった小骨、取れそうで取れないささくれみたいになっていた。

それが、吹っ切れたと思う。

100本ノックのつもりが64本でギブアップだったけど、
これだけ集中して投げたのは初めてだったので、
なんだか、全身で感じたように思う。

やはり、自分の投げやすいところに立って投げるのがいいや。

レーンの一番端に立って、
オイルのあるところをたくさん使って、
対角線に真っ直ぐに走っていくの、カッコいいし、
それが一番確率も高いのだろうけど、

わたしの道は、そこじゃないのだと思う。

もう一度、改めて、7番ピン100本ノックをやってみよう。
迷わずに投げられたら、
次は、きっと、もっと〇が増えると思う。