こんにちは、起子です。
テレビを見てたら、突然「石橋を叩いて渡る」と脳内に湧きましたんで、
「石橋を・・・」について思うところを。
「石橋を叩いて渡る」
今さら解説の必要もないくらい、慎重さを表すことわざ。
ただし、これも度が過ぎるとこうなる。
「石橋を叩きすぎて壊す」
壊しちゃったら渡れんだろw
そもそも渡る気あったんかーいw
次に渡ろうって人にとっても迷惑だし、周りが見えてないよねー。
慎重であるのは悪いことではないけれど、
目の前の橋だけじゃなく、広く周りが見えるのも大事じゃないかと思うわけ。
そうすれば、他の方法で渡れるかもしれんし。
じゃ、私の場合。
どっちかと言うと、叩きすぎて壊すタイプだった、かな。
だった、と過去形なのは、今は少々(だいぶ?)ずるくなった。
だいたいほどほどに叩けなくて壊しちゃうのは、
そもそも渡りたくないのよ(私の場合はね)。
でも、「渡りたくないでーす」って宣言するのが難しい時もあるじゃない、
オトナだからw
そこで考えたのが、「叩くふりをして渡らない」
一応渡ろうと思って試したんですよ~、
でもね、安全に思えないんですぅ~。
これなら次の人も渡りたければ渡れるし(^^)v
あとね、渡りたいけどこの橋は嫌なのよね~、
って時にもこれは有効かと。
叩きながらでも(イヤイヤ)渡ってドツボにはまったことも数多(*T^T)
本気で渡りたかったら、他の方法を見つけるからノープロブレム。
しかし、渡ろうが渡るまいが、
叩きすぎた挙げ句に壊して他の人に迷惑かけようが、
大事なのは結局、その後だと思うわけ。
渡ることが『目的』なら渡るだけでいいけど、
たいていの場合は『手段』だよね。
叩いて渡りきっちゃったらほっとしてなにもせずのんびり休憩。
壊しちゃった、どうしよう、からの~大勢が安全に一度に渡れる新しい橋かけて、
渡ったらその先に進んで、おいしいものを見つける。
私は後者でありたい。
ちなみに、私はガチでリアルの橋が苦手な人である、のは公然の秘密(^^;
そして、石橋に限らず、橋は人にいろんな豊かさを与えてくれていると思う。