切れない蜘蛛の糸があるとしたら | 透明な濁り Transparent impurity

透明な濁り Transparent impurity

壊れた世界の中の壊れた国の
壊れた男の戯言と妄想日記と現実の欠片
音楽から雑誌、日々のあれこれと過去の断片
統一感の無い愚かなブログですが、宜しければご笑覧ください

真面目な人ほど追い詰められやすいというけれど、そういう意味で不真面目なのに追い詰められる時分のような人間というのは皮肉なものだなと思う。

反面、不真面目であるからこそ、あれこれ悩みつつも現在も生きていられるのかもしれないと思うと苦い顔になりつつも、まあ良いことでもあるのかと考える。肯定的に捉えることは難しいけれど、全面否定で亡くていいかなという塩梅。

テレビがなくなって、けれどネットがある生活というのは不健全化と言えばそうでもない。テレビを観る用事があれば出掛けるし、ネットカフェのそれで賄えないほど見たい番組があるかといえばそうでもない。

ニュースを見ても、誰かの思想的な意志の入った解説を聞くよりも自分で文献を調べて考えるほうがいい。情報ってのは受け入れるだけでは駄目で、自分なりのフィルターを通さなければならない気がする。それが真実であるかどうかは別にしても。


若い頃から、頻繁に「肩の力を抜いて過ごした方がいい」というアドバイスを受けていたけれど、それは簡単なことではないんだよね。性分というものがあるから、それができないこともある。ガチガチに凝り固まった頭と心をほぐしてくれるのは小説と音楽だった。

それに触れるために、うんざりするような毎日にも耐えているんだと思う。それだけではないけれど、それはとても大きい。不真面目でも真面目でもない半端な場所で、うんうん苦しみながらもやっていけるのはそれがあるからだと思う。