どうも最近きな臭い匂いがしている。
排外デモに対するアンチテーゼを唱える人が出てきたのはいいが、その人達もまた暴力と暴言でカウンターをしようとする上に言論封殺を肯定するようなことをしているという矛盾。
人に対して、出て行けとか死ねとか言うのは劣悪。せっかく主張したいことがあっても、そんなんじゃ説得力がなくなるではないか。一方、そのデモに対して差別はいかんという人たちの中にも聞いているだけで具合が悪くなるような発言を平気でする人もいる。
twitterでそれぞれの発言を見ても、どちらも己の正当化と正義に依った、酔った発言をしているように俺は思った。正義は暴走する。と書くと、まるで森達也さんのようだが、事実正義というものは加速しすぎると暴徒と化す。
郵政民営化解散選挙も前の前の衆院選の政権交代選挙だって、誰かの扇動に乗せられてあんな結果になったではないか。前回の衆院選は民主党の3年半に対する【No】だったわけで、じゃあ次の参院選は何を根拠にどう考えて投票する人が増えるか、あるいは減るかを見極めるしかない。
話を戻して排外デモ関連。それに対するNoを言う人達の暴言も、行動も、批判されると傍観者が好きな事を言っているとか、どっちもどっち論は無責任だという。いや、その抗議はいいんだが、あなたがたの方法論もおかしいんじゃないのってのを受け付けない(当然だが皆が皆ではない)人は同じじゃねーのと思ってしまう。
右も左も正義を御旗に。だが正直、マイノリティ支援だのみんなともだちだと声高に言うレフトフィールドの方々のやろうとしていることとやっていることは正義の名の下に暴走しているように見える。
差別はないほうがいい。だが、絶対に許さないと、その人達を守ろうとする人が変節した時、それを疑う同じレフトフィールドの人達で争いが始まらなければいいのだが。
ともあれ、正義も正しさも、本当に難しい。相手を悪としてしまえば、どんなことでも許されると勘違いするから。それはレフトもライトも同じ。まあ、両方あって翼は羽ばたけるのだから本来的にはどちらかがどうって分け方も前時代的なのかもしれないけれどな。