影に忍び込む悪意のようなノイズを | 透明な濁り Transparent impurity

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やたらと街を歩くとノイズが増える。おそらくは15日までそれは終わらない。

ヘッドフォンをして歩いても、ノイズキャンセリング機能がついているわけではないから、それはあちこちから入り込んでくる。


テレビを観ていた時代。ぼんやりテレビをつけていると、そこから情報が耳にずいっっと忍び込んできた。ネットの場合は自分で取捨選択できるし、それは紙媒体の文字も同じだが、それが一度音声として、あるいは音楽として入ってくる場合、その情報量をシャットダウンするにはテレビを消すしかない。



情報は暴力であると言っている人がいたが、その暴れ具合を自分なりに制御できれば力となるのだろう。斉天大聖孫悟空の緊箍児、あの頭に付いている輪のように、暴走を制御するための力を手に入れれば、ネットだろうが新聞だろうがラジオだろうが、偏向報道を繰り返すラジオだろうが、なんてことはなくなるのだろうけれど、それは簡単ではない。


ノイズに対抗するための力ってのはとても大切で、それを手に入れるためには生半可なことではない努力が必要。当然ながら、誰にでも手に入るものではないし、そこで問われるセンスというものが自分には圧倒的であり決定的に欠けてはいるのだけれど、ノイズに対する防御方くらいは学んでおかねばとは思う。


むしろ、こういう考えこそがバグであり、ノイズなのかもしれないが、それは自分の中のものであって、侵入者としてのノイズではない。だからどうとでも処理できるし、再生産も可能だと思うのだが、外からの侵入物の処理ってのは同じようにはいかないからなあ。


年末が近づいて、慌ただしさとノイズは加速するだろう。16日が過ぎて、肉体的に耳に飛び込むノイズは春として、今度は別の形のノイズが生まれることは想像に難くない。

飲み込まれないように、残響し反響するそれらをよけながら、時に必要な部分だけ拾いながらやっていければと思う。