子供に珍妙な名前をつける親が増えているという。俗にいうキラキラネーム。あるい略してキラネーム。
ただ、最近はその手の名前の子供が増えて、逆にこれまでスタンダードだった【普通】の名前が少なくなり、逆にそれが子供たちの中で揶揄の対象になるなんて話も増えているという。つまりは【普通】の改変が起きていて、スタンダードが廃れているらしい。
基本的に子供にどんな名前をつけるかってことに同調圧力が掛かるのは好きではない。それでも、その名前を受ける立場の子供としては、あまり変な名前をつけてほしくないだろうなあと思うから、奇抜な名前をつける親は子供の将来を考えているのかしらんなんて年寄りめいた感想は持っていた。
それが上記のように、古めかしい名前、平凡な名前が逆に差別されるようになるなんてことが起きているのだから皮肉なものだ。もっとも、個人的に調査したわけでも、情報を精査したわけでもないから、ただの伝聞でデマかもしれないけれど、自分の姪の幼稚園の同級生の名前を姪から聞く限り、確かに素っ頓狂な名前が増えているのは事実のようだ。
先日読んだ小説の中に、アフリカのある国では呪術が今でも盛んであり、生まれた時に与えられる名前を知られるとそれが呪術に使われ呪われるという概念があるらしく、日常で使う名前と、その生まれた時に与えられた本当の名前と2種類を所有することになるという記述があった。
名前は呪いの対象であるのだ。自分というものを、あるいは個人というものを定義する上での呪いが名前であるのだと思う。だからこそ、罪を犯し収監された際には個人である自分を剥ぎ取られ番号で呼ばれるのだと思う。それは呪いを解くことではなく、自分自身を消される行為であるのだと。
そう考えれば、親が子供に付ける名前という呪術には神経を尖らせて、考えぬいて名付けてほしいなと思う。画数の問題ではなく、その後のその子の人生に重くのしかかるであろう名前なのだから。
単純に珍妙な名前の子供、その名前を批判するだけではなく、それがその後どうなっていくかまで考えなければ問題は何一つ解決しないのだろう。新しいスタンダードとして珍妙な名前が増えていくのか、あるいはどこかでまた原点回帰してこれまでの流れのシンプルな名前が盛り返すのか、見守っていかないとわからないなと思う。
現状、自分は自分の名前が嫌いではない。名付けられた時の親の願いからしたら、完全に名前負けしているなとげんなりはするが、この四半世紀以上付き合ってきた名前を好ましく思う。それは本当にありがたいことだなと素直に思うのだ。
願わくば、多くの子供達が己の名前を厭わぬ未来であることを・・・・・。