おそらく、明るく生きようが、暗く生きようがそこに正解などないのだ。
人生を満喫しても、それは終わるし、陰鬱な顔をしていても生きている限りは生きている。
強制される明るさというのは暴力で、正当化される暗さは欺瞞である。
一つのキャラクターとしての違いをあからさまに侮蔑する人間が鬱陶しい。
ということを思春期に思っていれば格好もつくのだろうが、ハナタラシだった思春期なんぞに自分はそんなことを考えてはいなかった。
恋愛。ゲーム。漫画。あとちょっと勉強。それだけ。
もっとも最上位に書いた恋愛を満喫できるようなスペックは自分にはなかったし、今もない。だからといって、卑屈になるようなことはなくなった。歳をくって楽になったなと思うのは、そういう歪な意味での自尊心と劣等感のカクテルを飲み干さなくてもいいということだ。
劣等感ってのは、おそらく生きている限りは存在し続けれど、それだって慣れるし、おおよそは慣れた。
押し付けられる価値観のバカバカしさを知れば、大したことじゃないとわかるから。
野垂れ死にでもいいやって開き直れば、大抵のことなんて大したことじゃない。
という境地が明るくないのは、さすがにあんぽんたんの自分にもわかる。
でもだからどうだというのだろう。
笑えるし、泣けるなら、それでいい。これでいいのだ。