口だけの批判ならなんとでも言えるという自虐 | 透明な濁り Transparent impurity

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この国の政治家を選ぶ選挙よりも注目を集める選挙が存在するという時点で、政治は既に終わっているのかもしれない。別にこれはAKBを揶揄するつもりではなく、素直にこの国の政治のあり方が終わっているのだろうなということを言いたくて書いている。

と書いたけれど、やっぱりそれは少し異常な状態で或るということも書いておきたい。投票スタイルのために同じCDを何枚も販売しているということ。もちろん、それを購入する人が納得し、好きで買っているのだから外野がどうのこうの言うべきではないし、どんな手段でも売上を挙げるという(上げるではなく)秋元康さんの手法は凄いとは思うけれど、やっぱりしっくりこない気持ちがある。


なにしろ、自分はCDの初回盤商法、限定版商法ですらげんなりしてしまうような古い人間なので、俗世間で言われているAKB商法というものも好きではない。誤解してほしくないのはAKB48という媒体が嫌いなのではなく、そういう売り方が好きではないのだ。でも、不景気下で利益を上げるにはもうそういうやり方しか残っていないのかもしれないなとも考える。



音楽が音楽として必要とされていた時代というのは幸福だったのだろうな。バンドブームを自分はリアルタイムで経験していないし、それは経済という面でのバブルも同じ。だから、落ちていく過程しか観ていない自分の感想はひどく生ぬるいのかもしれない。どんな手段を使っても生き残ればそれで正義だし、消耗品になったとしても伝説になれば崇められることはあるのは理解している。そもそもアイドルなんて消耗品だったものね昔から。時代の消耗品ってのは蔑んでいるのはなく、むしろ賞賛されるべきものだろう。


テレビ離れが進んでいるとされている現在もテレビメディアで仕事をしていて、高給をもらっている人たちがいるということは、そこには権力もステータスもあるということなんだろう。音楽も芸能のカテゴリーに入れるとしたら、まだそこに力はある。でもその力を持っている人たちが、供給先を軽んずるような真似をして自分の首を締めている現実もあるんだよな。CCCD問題しかり、現在まで続くJASRACの横暴しかり。



結局、正々堂々なんて考え方は日本でしか通用しないのだろう。正義と悪の概念にこだわり過ぎると、視野が狭くなるように、まっとうなビジネスという考え方に縛られすぎている自分のようなシーラカンスは滅びていくのだろう。でも、それでもなあ。


批判だけしているなら、誰にでもできる。代案なり対案なりを出せない自分もただのその一人か。デラックス盤と通常版を両方出して選ばせる方式とか、その地域限定版でツアーのチケット付きを出すとか、それだって広義のAKB商法になってしまいかねないしな。特に後者。


でも俺は、音楽が音楽として扱われる時代がまた来て欲しいんだ。それを願っている。