此処に在る或る事 | 透明な濁り Transparent impurity

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壊れた世界の中の壊れた国の
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音楽から雑誌、日々のあれこれと過去の断片
統一感の無い愚かなブログですが、宜しければご笑覧ください

またパソコンがぶっ壊れる・・・・。どうなっているんだ最近の家電機器・・・・。
友人のデジカメ購入に付き添っている場合ではなかったか。いやでもな。それはそれ、これはこれ。
今年は本当についてない。でも、そんなことを言ったら生きていられるだけでも相当に幸運でもある。
その辺の割り切り方というか、区切り方は変わってきたなと思う。良くも悪くも。

別にパソコンが壊れたって死ぬわけじゃない。データーが消えたって凹むくらいで済む。
本当に取り返しのつかないことに比べれば、そんなことは本当は大したことはない。少なくとも自分にとっては。


ただ、悪いタイミングで悪いことが立て続けに起こってしまうと心が折れてしまいそうになるってことはある。
だから、昨今の就職試験に受かることができない新卒の人が自分の命を絶ってしまう事を一概に馬鹿馬鹿しいとは思えない。新卒で就職できなければ、そこから人生ずっと苦しいみたいな状況のほうがクレイジーだと思うし、政治がそれを是正しないで企業の良いようにさせている現状にゾッとする。


結局、いつの時代も支配と非支配の関係は奴隷制度のように存在しているというわけだ。嫌なら、自分で勉強して力をつけるしかない。そこまでして、ろくでもない世界に存在していたくないと思うからこそ、この国の実質な自殺者は10万人を超えると言われているのだろう。年間3万人なんて、解剖できる、あるいは原因が特定できる限界の人数だとされているしね。


その10万人が集まって、現実の権力に立ち向かえば国は変わるのだろうか。きっと変わらないだろう。そして、戦う人たちを戦わない人たちが笑うという現象が生まれる。世界各国で起きているデモ、反格差の動きが日本に強く広がるなんてことはきっとないのだろうな。


別にみんな大金を得て、豪華な暮らしがしたいわけではないのだと思う。
ただ、普通に働いて、家族を持って暮らしていける。人が人として否定されない国にしたいだけなんだろう。
でも、この現実の前にそれが消され、潰されるということに耐えられずに命を投げ出す人がいるということだと思っている。


現実がゴミだからって、自分がゴミで焼かれて捨てられる必要はない。でも、そう思い込まさせられているような気配と空気が今、どんどん世間には広がっている。政治は混迷、経済は丁重。でも、息をしていられるなら、まだ俺は死にたくない。少しでもそう思えることがある限りは、なんとか、なんとかやっていたい。