嘘だらけの世界及び国で、わざわざ嘘を考えだす事はむしろ虚しいとエイプリルフールになるたびに思う。
笑えない冗談ってのはタチが悪いし、客観的に笑えるものでも当人にとっては傷つくなんてこともあろう。
そういう意味で、生真面目な人が多い日本ではエイプリルフールってのは厄介な日なのかもしれない。
それを主題にした漫画やら小説でも、やっぱり混沌としたものが多い気がする。
嘘と本当が混じり合っているのがこの世界だとしたら、0か100かで分けたがる人が増えた現場では、100の嘘を提示しないと本当に騙される人が増えるのではないだろうか。と、ここまで書いてみて、今日は何を書いても嘘になると思ったら厭だなと思った。頭を使わなければ本当のことを伝えられない状況ってのはスパイ映画のようだ。
つまり、逆さまのことしか言えない状況になる。自分の考えていることを相手に悟られるサトラレ状態であれば、本日はとても楽だろう。嘘を付くことが平気な人でなければ、そのごちゃごしゃした計算含めて相手に伝わるわけで、それの中から本当のことだけを抜き出されて伝わるなんてことは、ほとんどないだろうしな。
自分はユーモアのセンスもなければ、洒落っ気もないので、普段からお前の言うことは本音か冗談かわからないなんてことを言われるのだけれど、ならばこそエイプリルフールってやつの厄介さは知っている。むしろ知っていただな。今はもうね、現実の中にある虚飾と真実の氾濫にうんざりしとるからね。
結局、何が真実で何が本当なのかなんてことは主観に過ぎない。客観的な事実は一つだとしても、それの解釈である本当の実ってのは個々人の解釈でしかない。その方向に誘導させたい何者かがこれが真実ですという流れを作ったとして、自分がそれを信じなければそれを真実だと固定することはないのだろうから。
ここまで書いたことが、全部口からでまかせで思ってもいないことなら楽なのになあ。
好きな人がいます。今年結婚したいです。今、幸せの絶頂ですなんて嘘らしい嘘しか思いつかないので、逆に一番真実を語る日がエイプリルフールになるってのも皮肉でいいのかもしれないなと思った。
過ぎてしまえば嘘も真実も風化する。それは皮肉にも事実。いや、風化することもあるという一要素。
嘘の日ももうすぐ終わり、あとは混ざり合った日常がやってくる。そのほうが安心できるというのもまた乙なものだ。