わるいたべもの | 透明な濁り Transparent impurity

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最近、ベジタリアン(特にビーガン)について調べ物をしていたのだけれど、ああまで徹底して健康、あるいは動物を食べないように暮らしていくのは信念がなければやっていけないのだろうなと思った。揶揄的な意味ではなく、素直にあれは信仰のように思う。ロハス(笑)なんてものを取り上げて商売にしていた人たちが、ベジタリアン方面に声を挙げられないのは、原発問題と同じで食肉利権があるからなんだろうけれど、なんだか理解できる気はした。

ビーガンってのは、肉はおろか、魚も卵も牛乳もダメらしい。姪が3歳になるまで、卵と牛乳にアレルギー反応を示していたから、自然食品のお店に行って買い物をしたことがあるのだが、それなりにお値段は高かったし、お店の雰囲気もなんとなく敷居が高かった。それだけ厳格なベジタリアンというものが少ないから、需要と供給のバランスの関係でお値段が上がるのかもしれないけれどね。


一方、そこまで厳格ではないベジタリアン(お魚と卵、乳製品OK)ってのは多少興味がある。
生活のすべてをそう変えるつもりはないけれど、家畜を必要以上に促進剤を使って成長させたり、フォアグラみたいなやりくちで食品を作るってのはどうもな。屠殺場の映像を見たり、いのちの食べかたって映画を見てみると、自分が食べているお肉がお肉になるまでのリアルな現実があって、なるほどベジタリアンに転向する人はこういうのを知ってなる人もいるのだろうなと考えたりもする。


とはいえ、自分は肉も食べるし、その際に命を分け与えてくれる動物に対する感謝の気持ちで【いただきます】の言葉を述べる。ファミレスだろうと、コンビニ食だろうとそれは同じ。そもそも、俺ベジタリアンの人の、植物は摘まれるときに血も叫び声もあげないから、動物を殺して食べるのと違って残酷ではないって考え方は傲慢だと思うしね。


某宗教みたいに、家畜は神様から与えられたもので、鯨は人間に近い知能があるから食べてはいけませんみたいな考えも受け付けないし、ビーガンの人の中でも自分たちがしたくてしているのに、肉食をしている人を見下している人達は軽蔑する。結局はシステムとしての畜産のありかたを変えることは必要だと声を上げるのはいいとしても、雑食の人のライフスタイルの否定で自分の生き方の正当化とか高尚なものと勘違いしているタイプのベジタリアンが自分は嫌いなのだ。


という事を書いて、本日の私は珍しく自炊ではなくコンビニ×2食でした。昼はセブンイレブンの皿うどん、夜はデイリーヤマザキのイカフライ弁当。コンビニでお弁当を買った事自体が数ヶ月ぶりだったし、まして1日2回もお弁当を買うなんてのはそれこそ年単位ぶりだなと思った。きっと添加物やらなんやら体には悪いのだろうけれど、それはそれで美味しかった。


正しいことだけじゃなく、ああこれ体には悪いよな。わるいことだよなと多少の罪悪感や背徳感のある食べ物、飲み物(お酒とかね)がある方が人生は面白いと思う。ストイックで排他的とか選民的になっていくと、正しいことでも鬱陶しくなっていくんじゃなかろうかねえ。