ほっと心が休まる一瞬
起床時間がせまっているのに、未練がましく惰眠をむさぼっている私の耳に優しく忍び寄ってくるのは、早朝のラジオから流れてくる毎朝便りの番組。全国各地の視聴者から寄せられた日々の暮らしの一こま。寄せられた文面からは豊かな自然の情景が浮かび上がってくる。土の感触、草いきれの香り、季節の移り変わりを忠実に予告してくれる植物や小動物、なにもかもが昔なじみの懐かしさ。視聴者から寄せられた便りは、はるか昔の情景の中に私をいざなってくれる。リアルタイムで心に描いている自然の情景は、遠い記憶の中にある自然の延長なのだ。ほぼ一世紀もの時を経ても自然は何事もなかったようにその営みを続けていたのだ。大自然の懐に抱かれて暮らしている自分自身の存在。そう気づくことで何か救われたような安らぎを覚えるのだ。
現実の私は、自然との距離がますます遠くなる一方で、なんとも鬱々とした気分から抜け出せない生活を余儀なくされている。
我が家の窓から見下ろす地上は、はるか下方で、土の感触を楽しむなど、贅沢な望みなのだ。玄関のドアから共用の廊下を歩き、勿論、コンクリートの床、エレベータに乗り、やっと地上にたどり着く。舗装された道路、冬が来て、霜柱を踏み、感触を楽しみながら歩いた冬の道、
夜のうちに降り積もった新雪を踏み固めながら歩いた記憶、新雪の上をずぶずぶと踏みしだいて歩いたあの感触、思い出は尽きることを知らない。
現実の世の流れはスマートシティの実現に向かい、ひたすら猛進を続けている。
私のような過去の人間にとっては、何よりも自然との共生が理想なのだ。時代の流れを逆行させることは不可能だ。
残り少ない人生、記憶の中の情景を再生しつつ、現実の暮らしのほうがバーチャルだと思い込んで余生をおくろう。
これは、現実の世の流れになじめない私が思いついた苦肉の策である。