効率優先を追及し続けるその先に待ち受けるのは
そろそろこの国でも新たなビジネスモデルを採用しようとたくらむ効率追求により荒稼ぎをたくらむ企業が現れるのではないか、と密かに恐れおののいている私なのだが。
この恐怖を予感させられた原因は、あながち考えすぎだと一笑に付して無視できる程度の恐怖ではないのだ、
実は、眠れないため、真夜中にラジオのダイアルを回しながら、興味のありそうな番組を探していたのだが、突然深夜に放送されていたある人権派のジャーナリストが実際に現場で働く看護師たちの苦悩を聞き取り、彼らの素性が漏れないよう,と信用された上で、彼らの告発を救い上げ、一冊の本として仲間内でまわし読みをしていると言う内容らしかった。何しろ途中から聞いた話で、その内容に関し、全く真実だなどと責任ある回答はできないのだが。
ただ、現在も欧州の某国の地方自治体があるサービスの実施を企業に丸投げした結果の悲劇であることは信憑性が高いと受け止めざるを得ないのではないか、と。
全く個人的な想像の域をでないのだが、
このディストピア的な情景が今もなお実施中だという新たなビジネスモデルの全体像を想像してみると非常に理解しやす
いことがわかった。
まず、この方式を生み出した背景は、訪問介護サービスに対する増え続ける需要と、そのサービスを実行する看護師の不足、この需要と供給のアンバランスに対処するために考案されたのであろう。
そこで、生産の工程で利用されているベルトコンベヤをイメージすると非常に理解しやすいと思う、
通常なら、ベルトコンベアの上には最後の工程を待つ未完成の品物が次々と流れてくる。そのコンベアの両脇にはそれぞれ工具を握り待ち受ける作業員。彼らの前に仕上げの工程を待つ未完成品が流れて来ると、待ち構えていた作業員はすばやく最終工程の作業を行う、たとえば、ねじをしっかり締める、とか、塗料を吹き付ける、とかの簡単な作業なのだが、すばやく仕上げないと、たちまち未完成品は流れてしまうのだ。
ここで、ベルトコンベアの上に乗せられた未完製品の代わりに、訪問看護を希望する高齢者、または寝たきり状態の高齢者がコンベア上に乗せられ、作業員の代わりに、看護師が待ち構え、自分の前に流れてきた高齢者に必要なケアを行う、こんな情景を想像してもらいたい。
まさに、そのようなケアが行われているのだ。ただし,ベルトコンベアの代わりに看護師が希望社宅を訪問して回るのだが、ここで重要なのは、一軒の利用者宅に滞在する時間は契約どおりであることだ。遅刻は勿論、滞在時間が長すぎても罰金の対象となる。
その結果、利用者宅のドアを開けた突端に看護師が目にするのは、途中で一人取り残され、悲惨な状況を耐えるしかない哀れな高齢者の姿なのだ。たとえばおむつ交換の途中で放置去れ、濡れたオムツの上で、寒さに震えている高齢者とか、便器の上に座ったままで、放置された姿、などなど。想像するだけでも、胸が痛むし、とても人事とは思えないのだ。
せめて人騒がせな作り話であってほしいと心から願うのだが、昨今の世の中の流れを考えると、やがてはそんなビジネスモデルが実現する可能性はゼロに近いと即答でたきないのだ。
たとえ効率がv悪くとも、金儲けが苦手であっても、昨今の流れのように、経済、経済、とお金ばかりを手に入れても果たしてそれが人々の幸せな世の中になるとはかぎらないのではないかと、一人考えあぐねてしまうのだ。
言うまでも無く、詳細については私が知る由もないのだ