日々、新たな気づき
視力を失ってから悪戦苦闘の日々がつづくのだが、日常の暮らしの中で、以前なら意識することも無くできていたことが、突然できなくなり途方にくれることがあり、我ながら情けないやら視力を失った者が直面する困難さに改めて気づき、自分自身さえ、認識不足を思い知らされる毎日なのだ。
今朝も直面したのはこんな些細なことだった。今日は暑さがもどって来るとの天気予報を耳にし、それなら夏の間に着そびれた袖無しのワンピースを箪笥の奥からひっぱりだした。
裾のほうから頭を入れ、穴が開いていたら、そこから顔を出せば、難なく着られるはずだ、と何の疑いも無かった。ところが先の見えない暗がりで迷子になった私の頭は光を求め、必死でもがき続けねば為らなかったのだ。こんな無様な光景を誰が想像しえただろうか。
だが、このような困った話を周囲の人に話しても、その反応は実に冷たい。周囲の人はみな、私の困った話に何の興味も示さない。どういう意図でそのようなくだらない話を長々と聞いていなければ為らないのか、と同情どころか迷惑そうな雰囲気は鈍感な私自身でも気づき始めたのだ。そんな失敗を繰り返した挙句、私も悟ったことがある。周囲の人に対し、私自身の窮状を訴えてどのよう反応を期待していたのか、と自問自答を繰り返した。その結果、私が悟ったことは、私と周囲の人々とは異なる世界に住んでいるのだ、と言うこと。つまり、異なる世界の住人に、私の暮らす世界の話をしても理解されないのは当然だが、そんな簡単な理由に気づかなかった自分自身の鈍感さに、改めて愕然とした私だった。
今後は異なる世界の人々に同情を強要するような愚かな行動は二度と再び繰り返すまい、と決意を新たにしたのだ。
自分は周囲の人々とは異なる世界の住人だと自覚することで、私は感情的にも情緒的にも何者にも束縛されず、自由に解き放たれたような開放感を満喫したのである。、視覚障害と言うレッテルをネガティブに考え、卑屈になる必要は全く無かったのだ。むしろ、自分自身の独自の世界をある種の特権だとむしろ誇らしく受け止めて生きていこうと心に決めた、今後は異なる世界に暮らす人々に、同情を求めるような卑屈な行為は二度と再び繰り返さぬうよう決意を新たにした私である。ト