http://tocana.jp/2018/05/post_15887_entry_2.html
古代 ギリシアの自然哲学 者・ゼノンは“距離と動作”について「二分法パラドックス」を提唱した。
ソーダを買いに家から店まで出掛ける時、家と店の“中間地点”に到達する瞬間がある。
またその“中間地点”から店までの間にはもう一つの“中間地点”(家から店までの道のりの3/4)が存在するはず。さらに、そこまで到達した場合、その場所から店までの間にもう一つ中間地点が生まれる。
このように“中間地点”を設け続ける限り、無限に中間地点が登場し、いつまでたっても店にたどり着けなくなってしまう。もちろん、現実には店についてソーダを買うことができるが、最後の“中間地点”はどこになるのだろうか。ゼノンは“どこで距離の線引きを行うか”という疑問に執着していたようだ。
距離が100mだったとして1m進んだら中間は49m50cm・・・
前に進めば永遠に中間地点は存在する。
当たり前だ。
無限に中間地点が登場し、いつまでたっても店にたどり着けなくなってしまう。
店には辿り着けるが、距離の中間は永遠に辿り着けない。
テレポーテーションでも出来るなら一瞬その地点に立てるかもしれないが、(笑)
最後の中間地点はどこなのかと言っている。
が最後の中間地点は存在しない0になるか、
距離が時間と同じように考えれば秒針が12時の時、6時が中間
12時の時、6時に行けないように中間地点にも行けないのも分かったが、
時計の針が12時=最終地点なのでまた0になり6時が=家と店の中間地点
になるのでは、と当たり前の答えしか浮かばなった。(笑)
