一生懸命生きていますか
やりきった?
本当にやりきった?
今という時間を
今日という日を
この1週間を
このひと月を
この半年を
この1年を
この5年を
この10年を
振り返って。どうおもう?
「絶えず全力で」なんてことは言わない。
だめになるときもある、にげだすこともある。
だから、それでいいから、
だからやりきろう。
Is it a good day to die?
衝突をしないためには、 失敗をしないためには
発言をしなければよい
行動をしなければよい
思考ベースでも、その動きはあった。
「極論と極論の間、そこをたどっていれば、何度も本質を通り過ぎる。
その繰り返しによって、いずれ見えるのではないか。」
昔そう思っていた。
だが厳密には、極論にすら行けていなかった。
極論の一歩手前で引き返す。
衝突はなかった。
発信発散も無かった。
ミニ四駆は、壁にぶつかり、正しい方向に進んでいくモノ。
センサー仕掛けのロボットは、ぶつからないようにぶつからないように、のろのろと動き回る。
ぶつかると分かっていてぶつかりに行く、
それは「先見性がない」と言って、敬遠して良いモノだろう。
ただ、ぶつかっても居ないのにぶつかったフリをして、何かを経験したフリをしても、
何も学べない。何も感じられない。涙も笑顔もあふれない。
衝突や否定、拒否、失敗、 それは本当に辛いもの。
でも、ある種当たり前なはず。
知らない物事を失敗も苦戦もなく出来る人はいない。
新しい人と出会い、衝突や否定がないまま時が過ぎてゆくのはおかしい。
勿論「この年になって」というセリフは存在する。ただ、それは「この年」までにそれらを繰り返した人だから
こそ言えるセリフではないか。
では、すぐに「失敗・衝突に飛び込んでいこう!」と思えるだろうか。
それはそれでおかしい。
いわゆる、「自分を大切にしていない」という状態でないと、その状態にはちょっと違和感を感じる。
だからこそ「ちょっと自分はどうでもいいや」とか投げやりな気持ちをもって臨む事が必要になる。
本心でなくても。
そして、本当に心の底から「自分はどうでもいいや」と思える人なんて少ないと思う。
自分を大切にしない人は居ないと思う。
そのロジックを立てる事自体が自分を護るためで、
本当に自分を大切にしていない人は、今まで生きていないと思う。
皆、自分は大切に出来る。
ただ、大切なあまり、過保護になっている。
旅をさせよ!!!
このような発言・意見・ロジック、全て自己正当化です。確かにそうです。
でも、自己を否定化したまま動ける人なんて居ないと思う。
否定化するから、動けないんだと思う。
最後に。
ここまで書いて思った。
衝突・失敗については、自分から望んでつっこめばよいし、周りからの圧力に対しても、それ相応に反応していけば良いと思う。
しかし、「否定・拒否」はいけないなと思った。
拒絶。
これは、なにものをも打ち砕く。
愛の反対は無関心。
衝突でも失敗でも、向かう方向に愛があれば、それは決して悪くない事。
無関心な承認からは、愛も何も生まれはしない。
