自分で愛を満たすとは?! | Asami KUMIKOの煩悩菩薩

自分で愛を満たすとは?!

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自分を愛で満たす

とっても大切なことですね。
カウンセリングでは、このテーマに触れないケースはない!と言っても過言ではありません。

自分自身が一番自分をわかってないし、
制限してますし、
苦しめています(笑)

言葉で言うのはカンタンですが
これがなかなかわかりづらい世界でもあります。

親密な愛情関係がうまくいっているなら、
自分自身との関係性もかなりうまくいっているでしょう。

うまくいっている、というのは、
カタチじゃないですよ。
その関係性への感謝、満足、幸福感が高い状態です。
関係性なので、交流しての実感などが含まれます。
片思いもまたステキですが、
こちらも自分自身との交流が片思いであることが隠れていることがあります。
良かれと思って、自分を追い詰めている場合が少なからずあったりします。

良かれと思って、
なんです。
最初の最初は、全部、良かれと思って
なんです。 


我慢するのも
頑張るのも
おちゃらけるのも
イジワルするのも
ひねくれるのも



良かれと思って、
自分より「何か」や「誰か」を優先したんです。
そして、褒められたり、
評価されたり、
反応が返ってきたりしたんです。

そしてそれがどんどんエスカレートしてきます。
ちょっとやそっとのことでは、期待していた何かが起こらなくなるからです。
逆に、とても期待はずれのことが起こったり。

それでも、その良かれと思って編み出した魔法は
なかなか手放せません。
しかも、その魔法は、間違いなく自分の才能などのギフトを基に編み出された魔法なので、
それこそ、ちょっとやそっとじゃ、手放せないのです。
必殺技だと思っているものを。

長所が長所として機能しなくなってもなお、なのです。

それは、自分の価値は魔法を使っている時だと思ってしまっているからです。
魔法の使えない自分などは、愛されるはずがないと。

我慢という魔法。
頑張るという魔法。
道化という魔法。
イジワルという魔法。
ひねくれという魔法。

魔法を多用しすぎると
パサパサになってきます。
潤いがない。

潤いは何かというと愛ですよ。

潤いがないと、いろんなことがギスギスします。

そこで変なアブラを足さないように。
変なアブラは、その場はなんとかやり過ごせると錯覚させるもので、心理的ゲームみたいなものです。
その場の寂しさを、紛らわせるだけのニセモノ。
思考優位で考えた浅はかさも、変なアブラです。
自分自身は、欺けません。
それを積み重ねることは、要注意です。

変なアブラは、劣化が促進され、とんでもない副作用をもたらします。


愛で満たされても感情は動きますし、
落ち込むことがなくなることはありません。
でも、結局、落ち着く先は、
私がいい!という溢れる気持ちに満たされます。
それが愛が満ちていく感覚で、
落ち込んでいる最中でさえ、これが起こり、大いに自分を励まし、勇気と元気を与えてくれます。


かくいう私も、この仕事をしていることもあり、かなりストイックにその辺を積極的に触れていってますけど、
未だに自分自身の不理解に撃沈することがあります。

チーン。。。。。

気づいたときはショックですが、
それでも私は私がいい。
やっぱり大好きだ!と思います。




溢れたものは、分かち合いたくなります。
自分だけでは余っていくからです。
無くなる感じがしないのも特徴です。
でも、分かち合いも、自分を愛することと同じことなので、むやみに無駄にすることでは、ありません。
自分を愛する延長にそれが広がっていくということですね。

そして、自分からも、他者からも、愛が来るので、その豊かさは目に見えませんが、明らかに感じるものとして満ち満ちています。


人間なので、いつ如何なる時も、
と、いかなくても、オーケー。
キーキー言ったり、
満ち満ちて愛が、溢れたり。

その完璧なるアンバランスな美しさが人生を彩りますように。