原発事故こども検診医療基金・関西を設立
原発事故こども検診医療基金・関西を設立
2013年 3月 26日 12:35 《京都》
堀内隆喜 http://www.janjanblog.com/archives/94161
3月24日午後京都市下京区で原発事故により東日本全域から西日本に避難移住している子供たちの被曝の影響を検診可能にするための基金を設立する集いが開かれた。避難してきた人達自らが、避難した人こども達、避難を希望するこども達の検診を実現する受け皿になるべく立ち上がって作られたといえる。
昨年の3月10日、バイバイ原発京都の集会があった円山野外音楽堂のそばの広場で東京から避難してきた詩人の中村 純さんが「東京港区でも現在チエルノブイでいう放射線管理区域です。キエフと同じ孫の世代に遺伝子に異常が出る。これが現実です」といって首都圏の危機を切々と訴えた。その中村さんは「内部被曝から子どもを守る会」を立ち上げてこの基金設立へと動いてきた。その辺のいきさつをこの日の集いの冒頭で話した。
東日本ではどのように努力しても子どもを守れない
東北~関東にかけて大量のヨウ素がふりそそいでいたことを知りました。そのために保育園で砂場の入れ替え交渉や給食の安全性を求める行政交渉をたった一人で始めて「内部被曝から子どもを守る会」を立ち上げました。それが活動の始まりでした。同じように思う親がおりまして今はフェイスブックなどで3000人位がこの会に参加しています。
活動の中で当時食品の流通基準が500ベクレルでした。ドイツの放射線防護協会では乳幼児は4ベクレルが推奨されていました。100倍以上が基準でした。東京の親たちは国会に通いながら基準値を下げてくれと活動していました。食物も水も西から取り寄せ何とか子どもを守ろうとできる限りのことは致しました。
子ども全員の尿からセシウムを検出
2011年11月頃お母さんたちと子どもたちの尿検査プロジェクトというのをやりました。全員の子どもからセシウムが出ました。それを知った時にどのように努力をしても東では子どもを守ることはできないと実感しました。京都に子どもを連れてきたら「砂場で遊んでいいの?鴨川の水は触っていいの?」と言われた。それで「ああ、東日本では普通の子育てができないんだ」と夫を東に残して二重生活をすることになりました。2012年3月母子で移住しました。関東出身なのでとくに受け入れ住宅も何もありません。こちらに来た多くの人達がそういう状況にありました。そして「関西疎開移住(希望)者ネットワーク」というのを立ち上げまして、東から西に移住したい人の手がかりになればという活動をしてきました。
移住の相談にのったり、どこの保育園がいいのか、どこのエリアに住んだら(同じような)人と会えるかという活動が最初でした。多くの人たちが夫を東に残したままの母子避難で家族から反対して出てきていました。月15万~20万円余分にお金が出ます。かなり大変な中で二重生活をして即働かざるを得ないという状態でした。
2011年の終わりから2012年4月多くの東北や関東の親子が移住しました。私たちの会に200人以上が登録しています。
事故後2年経てなお、こども達の検査なしが続く
次の4月をめどに移住希望の人たちがどんどん移動を始めています。ですが2年たって多くの避難移住者の家庭が経済的にも精神的にも疲弊しています。預金がなくなれば東に戻らなければならない人達もいます。そして多くの子ども達が必要な甲状腺エコーや血液検査、心電図などを受診できていない状況にあります。これは東に残っている人達も同じです。チエルノブイリ事故で多くの子どもを見てきたヘレン・カルデコット博士は「子どもは半年に一度の検診が必要だ」と言っています。
日本で子ども達が検診を受けられない事情は二つあります。まず、受け入れの病院がないということです。被曝を前提とした検査を日本の医療機関はほとんどしてくれない。これが一つの壁です。
もうひとつ集団検診をやってくれる病院はあるのですが福島県以外の受け入れのない住宅の人にはなかなか支援が届きません。さらに自費検診ですので1~2万円の費用がかかります。これは経済的にひっ迫した母子避難者や失業されて家族で移住している方達にはかなり困難があります。公的保障もなく民間支援もない。だけど子ども達の健康は待ったなしとです。福島の子ども達に甲状腺ガンが出ていますし、関東の子ども達にものう胞や腺腫様甲状腺腫瘍、結節などそういった具体的な影響が出ていますので何とかしたいという願いがあります。
3月9日の「ばいばい原発京都」ひろばで訴える基金の皆さん(撮影:堀内隆喜、京都市円山公園)
子ども達が自分の言葉で語り始めた時を受けとめるために
2年も経つているのに検診を受けていないということを何とかしたいと思います。会場で販売している私自身の詩集や避難移住者の手記、手づくり品を売っています。その売上金や皆さんの賛同金・寄付などがこれからの子ども達の検診を実施する費用になりますのでご協力いただければと願っています。
基金の原資となる避難者の手記(左300円、右500円)撮影:筆者
被害にあった子ども達が自分の言葉で語り始める時が来ると思います。私達はそれを受けとめる社会を作っていかなければならない。そのためには避難移住者だけではなく西に来た私達・子ども達が育っていく地元の方たちに子どもを受け入れる社会を作っていく、参画者として同志としてお願いしたいという願いがあります。
私達が作ったこの小さな基金は実は第2・第3世代に必要になってくるというのはチエルノブイリの原発事故が証明しています。
京都はお寺という永劫の時間軸を持つ存在がある
京都という土地は私達の命の時間、数十年と言う時間を超えた永劫の時間軸を持ったお寺という存在があります。そのことが私には一つの救いと思っているのですが、教会や寺社が果たしてきた社会的役割を考えた時に東本願寺の僧侶、山内小夜子さんに出会いました。基金の相談をしました。京都に来てからも関東の避難者の話に耳を傾けてくれる人がいなかったときに最初に話を聞いてくださって歩みを共にしてくださいました。
私達が亡くなった後も僧侶の方達や寺社、京都の方達にこの基金を育んで継承して欲しいという願いがございます。支援・非支援の関係を超え共に未来の子どもに思いをはせる存在を糧として事務局・賛同人・呼びかけ人・スタッフが集まりまして産声をあげたのがこの小さな基金です。どうぞ子ども達の未来を育み社会に参画する同志として私達と共に歩んでいただければこんなに嬉しいことはありません。(文責:筆者)
基金設立の集いのパネル討論(撮影:筆者、3月24日)
集いには約150人が参加した。そして中村さんの報告のあと、おしどりマコ・ケンさんが東京電力の情報開示に対する疑問を質問し続けてきたこと、福島以外の汚染地域の子ども達の検査結果の情報、さらには福島の健康調査の評価の欺瞞性等について流れるような掛け合いで話した。
質問に答えながら討論する皆さん(左から山内さん、梶原さん、おしどりマコさん、おしどりケンさん)筆者撮影
そして基金の顧問である小児科医師で僧侶でもある梶原敬一さんがたばこ被害や脳死判定等を例えながら医学界の論理が大きな問題だと話された。医学の基本で習ってきた放射能の被害について大学の偉い人が「セシウム等は何の影響も無い」「甲状腺だけに影響がある」などと話す。
医者は患者と共にあるべきなのにである。
など事実から逃げないことの大切さを語った。
さらには基金の代表でもある山内さんを交えて4人で会場の質問に答える形でのパネル討論が行われた。
2012年3月10日バイバイ原発京都でのの中村さんの話(スチール動画) (制作:筆者)
この日の動画 http://www.ustream.tv/recorded/30307363
基金のホームページ http://kodomokenshin.com/
口座 郵貯銀行00970-2-302138子ども検診医療基金・関西
堀内隆喜記者のプロフィール
京都在住。写真家。京都の伝統行事、文化、風景の取材で市内を動き回る。janjan記者歴8年。原発事故後は京都の脱原発をめざす市民のデモ・集会・学習会などを写真記者として取材中。
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いまさらに 国を東電を 訴えても遅れるばかり
あきらめるわけではないが 子供の健康のほうが先だ
このような動きが出てきたことは 嬉しいかぎり
一人の力は 限りがあるかもしれない
しかし 多くの人が集まれば それは大きな力になる
いま 日本がおかれている状況を考えると 国民を救うことが第一だ
フクシマの収束は 何十年かかるかわからない
こどもは 10年もすればあっという間に 成長に必要な大事な時期をすごす
そして 20年もたてば 赤子は20才
DNAの大切さを考えたのなら いますぐの行動が求められる
関西へ移住をされた方々 ぜひ 目を通してほしい
嘆いていても 事は進まない
行動を!!
年を重ねるごとに きっと 動くのは難しくなる
そして あきらめに変わる
そうならないように!! いま 出来ることを!!