電車が動かないから、もう一本、記事上げとこか。
車掌さんがさっきから謝ってばかりいて気の毒。
「夜の遅い時間に、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
って、、、めちゃくちゃ良い人。
こういうアナウンス1つで和むよね。
確かに遅い時間に更に帰宅が遅くなるのは愉快なことではないけども。
でも、帰るだけだし。
今日は寒くも暑くもないし。
今、グリーン車の中で快適だし。
でも腹を立てる人もいるのかなぁ。
怒ったり悲しんだりしても物事が好転することは無い。
かえって、そのネガティブな感情自体に疲れちゃうから、「ま、仕方ないよねー」って、今の自分に出来ることをして、なるべくご機嫌な状態でいたいと思う。
無駄だよな、怒ったり嘆いたりすることが、さ。
無駄。。。。。
実は先日、この「無駄」という言葉に関して考えさせられることがあった。
ある人から相談を受けて、、、
「私のしたことって無駄ですか?」
「あなただったら、自分にとって無駄だと思う仕事でも引き受けますか?」
と。。。
無駄、、、、、?
この時の私は、仕事に関して、無駄かどうかを考えたことって無いな、と思った。
だいたい、引き受ける前に無駄な仕事って分かるのかしらね。
たとえば、私はコンサートの司会の仕事もしてるわけだけど、これはフルート吹きの私にとっては無駄なのだろうか?
逆に、無駄じゃない仕事ってどういうこと?
司会をしてそこからフルートの演奏に繋がれば、それは無駄じゃないってこと?
考えていくと、私は無駄かどうかより、楽しいかどうかに重きを置いてる気がする。
で、「どうせやるなら楽しみたい」と思うので、大抵の現場は私にとっては楽しい。
でも「今後はやりません」と言ったことも数回ある。
それは、どうしても楽しいと思えない現場だった。
嫌だな、って思いながらそこに居ることは、周りに対しても失礼だと思ったから、辞めることにした。
でも、そこが無駄だったかと言うと、そんなことは無くてね。
無駄だったことなんて、一つも無かったよ。
今みたいに待たされてることもね、その事柄自体を無駄とは思わない。
むしろ、この環境においてフラットな気持ちで構えていられるように、自分自身が試されてる気がするのね。
こうして滞りつつあるブログを2つも書けたし。
自分に対して起こる物事に対して、自分の心がどんなふうに動くか。
私の一番の関心ごとは、それかもしれない。
で、その動き方に対して、面白いなぁと感じたり、自分アホだなと思ったり。
そういうことで、生きてるって感じる。
さぁ、電車も動き始めたよ。
読書を再開しよう。