昨日、田舎の父に電話をしました。

母と違って、父とは話す事が
いつもなくて困ってしまう・・・。
私は全てが父似で
母の要素はみじんもないので
父から生まれたのだと
よくからかわれていました(^-^;

私が中学3年生の時に
父がうつ病になりました。
その当時は「うつ病」なんて言葉は
まだ浸透してなくて・・・
ただただ自分を責めながら
謝り続け、正座か立ち上がるを繰り返し、
食事も殆ど手をつけることなく
一睡もせずに死ぬことばかりを考え続けて・・
家の周りには銃を持ったヤツらが
取り囲んでいるから、と
全てのカーテンを閉めて
自分の腕時計だけを握りしめて
「これが守ってくれるから」と言いながら
ガタガタ震えていた・・・
田舎だったし、うつ病なんて言葉も
知らなかったので
何かに取り憑かれたと
祈祷師のような方に来て頂いたりしたのを
覚えています。

そんな状態が1か月以上続くと
私も母も疲労でもう頭が働かず・・・
部屋からトイレ以外は絶対出ない父が
「ドライブに行こう」と言い出しました。
母は驚きながらも「いいよ!」
「お前は家にいなさい、母ちゃんだけ
行ってくるから」と
車に乗り込む2人を見送りに出た時に
あ、死にに行くんだ、と咄嗟に察し
「私も行く!!」と言ったら
母が頷き、私も車に乗り込みました。
母の運転で助手席には父。
後部座席に私で、
父がハンドルに手をかけようとしたら
阻止しようと、肩を真ん中の隙間に入れて
前のめりで座っていました。
案の定、父は「千曲川を土手沿いに走ろう」
と言い、母は「いいねー」と答えた。
これまでの状態とはうって変わって
明るく軽快に話す父。
内容は覚えていないけれど、
私も母も全身カチコチに力が
入ったままだったけれど、
その時間はすごく楽しくて
街灯もない真っ暗な闇の中のドライブ。
3人で大笑いながら昔の楽しかった
話しを次から次へと途切れることなく
ずーーーっと。



結局、ひとしきり土手沿いを走り
家に戻ってきました。
帰れた・・・と思いました。
父も部屋に入るなり
うつ病を発してからはじめて横になって
眠りはじめました。
その日を境に本当に憑き物がとれたかのように
良くなっていきました。

その後も4回くらいうつ病を発し、
今ではなりそうなのを察知して
事前に薬を飲んでコントロールできる
ようになっています。

母が手術後にうつ病になった時にも
「オレはうつ病のプロだから任せとけ!」
と頼もしい一言。
きっと父は自分がうつ病を発してなければ
母を理解できずにいたかもしれない。

去年78歳の父↑若く見えますキラキラ

私が一人っ子でありながら
婿を取らず嫁いでしまったので
今も母と二人お互い理解しながら、
協力しながら、暮らしてします。
娘には迷惑をかけない、と
言いはしないけれどそうやって
二人で頑張っているのは伝わってきます。

「いつもありがとう」は
口に出すとなんでこうも
軽い感じになってしまうんだろう汗
「はいよ」と笑いながら答える父。

父の日を迎えられるのも、年齢的にも
あともう何回もないかもしれないんだな、
と番号を押しながら思う。

今年はGWにも行けなかったし、
お盆にはまだあるし・・・
近いうちに1度行ってこようかな??