『コンシェユジュリー牢獄』シテ島 裁判所の横、3つの円筒が有る中世の城塞は1370年からその後巨大な姿をセーヌ川の中に留めています
コンシェユジュリーは、王室管理府でしたが、王宮を移転してからは牢獄として使っていました
ルイ16世、マリーアントワネット、子供達、ルイ16世の妹エリザベトもここに収監されました
現在は観光で入れます
マリーアントワネットが収監されていた部屋の再現はしてないそうですが、祭壇はあります
大きい所ですね↑こっち側の隅に600年前のパリ最古の公共時計が有るのですが、写ってない〜
建物の間から見えたのは『ノートルダム大聖堂』
真ん中の『薔薇の窓』は西と北に在ります
塔は近過ぎて撮れませんでした
革命時には革命を正当化させる為に反逆罪などの名目で1400人近くの命がギロチンに消えました
ギロチンは罪人が楽に処刑を終わらせることのできる画期的な装置として開発されましたが、王と王妃も革命にこじつけた罪で命を落としました
王侯貴族が華やかに裕福な生活を送れたのは民衆がせっせと働き、節約して、我慢して納めた税金のおかげでした。不平等の上に成り立っていた君主制が変わる時が来ていたのです