「自然と共にあった飯舘村の生活~原発事故が奪ったもの」村上真平講演
テレビっ子の私もついつい民報のテレビの影響でしょうか原発の問題を忘れてはいないけれど放射能のこともだんだん忘れそうになって来る時があるんです。
これがいわゆる事故があるまでの日常のようにですね。
でも、実際はちがうんですよね昨日の講演会では実感しました。
村上真平さんとは昨日初めてお会いしました。
北九州にすんでいる三宅さんからのご紹介で今回の講演会が決まりました。
以前、アエラにも掲載されたこともある村上真平さん。
百円玉市民塾で話してもらおうと決めすすめてきました。
シャプラニールの職員でもあったり様々な海外支援NGOで農業指導をしてきて10年前に福島県飯舘村に移り住みご自身の理想の15000坪の農園を家族で作り続けてきた。
海外支援をしている時にも感じていた「多くの貧しい人たちがいるのは一部のお金持ちがいるからで、国と国もそう」
10年前にタイバーツが暴落した時にタイに駐在していた時に周りのタイ人は困窮したが自分の資産は倍になったという違和感を感じて日本に戻り農園を始めたそうです。
凄く穏やかで優しい風貌の村上さんでしたが、震災が起きて3日間で決断してきたこと映画になってもよいようなお話でした。
3.11は村上さんが運営する「なないろの空」のお祝いの日だった。
揺れが激しく、電気が止まりラジオからの情報は少ししかなく、ただの地震だったらよかったけれど「福島原発も被害にあった」と聞いた時、急に怖くなりました。
怖くなったのでラジオの情報では少なすぎると思い、軽トラックのバッテリーを交流変換機をつかってテレビとネットをつなげて情報をえました。
そこで、福島原発が停止したと知った時には安心しました。
テレビのアナウンサーの発言に違和感を感じ、注視していました。
しかし、次の情報では「電源が確保できない」ト聞いた時にどうなるんだとおもいました。
次の日、外は雪が降っていて福島に行っていた妻が戻ってくるなり「逃げよう」といったことに驚きました。
妻が言うにはかなり危険な状態で福島で言っていたと
すぐに農業研修生も一緒に山形の親戚の家に避難しました。
3日目、福島の第一原発の爆発をしり「もう戻れない」と思いました。
研修生にも今日で研修は終了します。と伝えその後岡山の知人をあてに行くはずでしたが知人から連絡があり被災した人たちの受け入れをしてくれないかということで三重県の愛農会に要請をして受け入れをしてもらうことになり約20人の被災者と共に三重県に行きました。
村上さんの生活や活動をスライドでみましたが、自然と共生する生活。
農業は一番最初にする自然破壊なので自然農法という形でつくる作物たち。
耕すことも肥料もやならい自然農法、畑の中で森をつくるやりかた。虫も仲間。
自然農法でとれた野菜で作る料理をだしたいという奥さまの夢も叶えながら農業をすることは家も建て水も自分でひいてすべて行う。
震災が起きた時も電気がなければろうそくで大丈夫。
料理もマキも食料もあるから暮らせると思ったそうです。
しかし、放射能は暮らせなくなると決断させた一番の理由です。
空気も水も土も奪ったのは原発だった。
フランスに被災後に講演をするために行った際にフランス人たちの反応が凄く共感してくれたことに驚き、今は小さな形でもいい伝えることの重要性を感じて講演活動をしているということでした。
そう語る村上さんはもう過去は振り返りません。
前を向いてしっかり伝えることをしていきます。と村上さん「振り返りません」
と
1時間しか聞けなくて懇親会の料理作りに帰った私でしたが、もっと聞きたいと思いました。
アメリカのニュースが報道する映像を見て水素爆発と報道していた日本でしたが核爆発している映像を見ているとぞっとしました。
http://www.youtube.com/watch?v=P4KXX24Dv1U&feature=player_embedded#at=61
沢山の情報を隠されたり改ざんされたり何を信じたら良いんだろうと思うことがありますが、村上さんは「大人は原発を止めるために動かなければならない」と話しておりました。
村上さんの講演に寄って一人一人の心に火をつけていけると信じています。
大地では国に脱原発を実現する自然エネルギー中心の社会を求める全国署名を開始しました。
呼びかけ団体「さよなら原発」1千万人署名市民の会
呼びかけ人
内橋 克人 大江健三郎 落合恵子 鎌田慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴 辻井喬 鶴見俊輔
どうぞ、ご協力ください。