以前、厚労省や県、市に「国民に運動を勧めるのならまずその環境を整備せよ」という提言を行いました。自動車と一度もすれ違わずに歩けるウォーキング・コースやずっと緑で囲まれた通学路などを含みます。

 

ヨーロッパではすでにここまで進んでいました・・・

 

 

 

ヨーロッパ健康都市ネットワーク

 

1. はじめに

    公衆衛生の現場に変化を起こすことは簡単ではなく、変化は直線的ではない。その歴史を評価し見直すことで、しばしば過去を論理的あるいは方法論的考えに当てはめることは可能であるが、重要な情報を見逃しがちである。

    これまでの公衆衛生政策、戦略、計画などの成功例や失敗例について医療の面だけで説明のできることはほとんどなく、実社会における技術革新や政策実施を理解するためには、社会政治学的要素や組織構造などの要素も含めて、科学面からの評価を必要とされることもある。

    ヨーロッパにおける健康都市の30年の歴史は良い例であり、多面的に説明されるべきものである。これは近年の主要な科学技術や都市計画が発展した時代における、地方レベルでの近代公衆衛生活動の記録なのだ。

    健康都市計画は、健康を都市における社会的・政治的優先順位を上げることを目指して始まった。そして、都市に住む人々の健康と持続的発展を気にかける何千もの地域のリーダーや専門家を刺激して、大きな動きとなった。WHOによって主導され、最も長期間にわたりかつ成功を収めてきた活動の一つであることは間違いない。

 

2. 新しい公衆衛生活動の始まり

    健康都市の概念は、公衆衛生が国際的な場で議論されるようになり始めた頃に登場した。健康と医療についてその定義や意味について再考がなされ、また、新しい公衆衛生の価値や原理の設定がなされた10年の後、1980年台には市民全体の健康を推進していくための政策や戦略が、強力な発言や幅広い分野にわたる推進者のお陰で、その地位を確立していった。最も重要なのは、WHOによる「すべての人の健康」戦略と、健康プロモーションに関する「オタワ憲章」により健康政策を行うための新しいタイプのリーダーが出現してきたことだった。

    健康政策研究家たちは、啓発された政治的リーダーシップが、のちにより良い世界への障壁を乗り越える意思を生み出すことになる価値や視点に動かされていることに十分な関心を持たなかった。WHOヨーロッパ地域事務局は「健康都市」プログラムをまさにこの新たな発想とコンセプトに開かれ、さらにリスクを負い全く新しいパートナーと協働する時代に開始した。WHOヨーロッパの健康都市ネットワークの構築は、地方レベルでの「すべての人に健康を」もたらすための戦略プログラムであり、1980年代前半の地方レベル及びWHO本体によるいくつかの働きの成果と先導による結果として達成されたものだった。WHOヨーロッパ地域事務局長は、1987のヨーロッパ健康都市会議において次のように発言している。「健康都市の建設は、人々の健康のため多分野の業種が新たなより良い解決法を考え、そして新たなパートナーと協業するべく啓発される、初めての大いなるチャレンジとなります」と。翌年、コペンハーゲンのWHOヨーロッパ健康都市ネットワークへの加入を祝う席で彼は次のように言いました。「なぜ都市ごとに限定するのか?それには2つの理由があります。一つは、都市問題は早急な対応を必要とし、しかも年々増加していること。そしてもう一つは、地方都市行政というものは「すべての人への健康」に向けた活動をするために最も適した単位であり特別興味深いものなのです。一つの都市の市長がその地域に対して持つ力は、首相が国に対して持つ力を超えているものです。地方行政ならいろいろな業種を健康活動に向けて動かすことも国レベルよりはるかに容易です。コミュニティの参加はこれとは違い、地方行政全体で日々関わっていかなければならない課題です」地域事務局長のジョー・アシュヴァルは、当初より「健康都市」を政治的、戦略的に大いに正当化した。彼は「健康都市」を、「すべての人の健康」を達成するために地方行政積極的にやらなければならない、横断的活動と位置付けた。短期間のうちに、WHOヨーロッパ地域事務局は、健康プロモーションを行うための学校や病院のネットワークを構築して、新たなパートナーシップを拡大するキャパシティをさらに強化した。

 

3. 地方行政と協業する仕組みの構築

    「健康都市」は、地方そして都市レベルの活動の重要性と地方行政の役割を認識することから始まった。地方行政と直接関わることは、国レベルでの関わりを主としてその国の省庁とともに活動する WHOの業務からは程遠い。加盟国と直接対話ができる機関として、WHOヨーロッパ地域事務局は国家よりも下の行政レベルの機関と最前線で戦略作成と実施を行い、地方に高いレベルの活動を導入する際の問題や課題に直接関わるようにした。保健医療の中央省庁の職員が地方行政の中に入って仕事をすることはとてもエネルギーと人間関係のスキルが必要で、コミュニティレベルで仕事をすることの重要性はWHOの提言などの中にもしばしば出てくるが、実際に地方行政のリーダーたちと仕事をすることは容易いことだとは思われていなかった。

    近年の公衆衛生の歴史は、WHOが目の当たりにしてきた膨大な数の法的制限や外交障壁に満ちており、健康・保健サービスの不平等や生活習慣病、国際的な公衆衛生問題、薬剤耐性などの問題の解決を阻んできた。そして同時に、都市部における健康対策もWHOが期待するような十分かつ実用的な段階にまで達しておらず、地方行政のリーダーたちも本来彼らがやるべきである、重要な会議や地方集会、あるいは国際規模の会議における声明や宣言を行なっていない。

    健康公衆政策、他職種連携、すべての政策において健康を重視すること、また健康政策にすべての行政機関、すべての社会組織が参加するなどのコンセプトは、多くの国においてまだまだ漠然としたままであるが、こうしたコンセプトが健康都市構想の土台となるものなのである。健康に対して地方行政の全職種が参加することで、公平性が強調され、法的機関またはそれ以外の様々な機関とのパートナーシップ構築につながっていく。

 

4. 健康都市によって期待される効果:変化と改革を目指したプロジェクト計画

    新たな試みというものは、例えそれが輝かしいアイデアから生まれたものであっても、変化する未来に合わせてそれを実現に移す算段を準備しておかないと短命に終わることがある。特に革新的なことを始めようと思えば、新たな思考過程、活動方法などを必要とするものだ。健康都市はWHOヨーロッパ地方事務局で革新の機運が強まっていた時期に発案され、実行に移されて、戦略的な必要性によって当初から数多くの説明を要した。健康都市というコンセプトは地方政治家にはすぐさま直感的に受け入れられた。WHOは彼らが動かせる資産を次の6つの柱と結びつくようなイニシアチブに投入してもらえるようなプロジェクトを提案する必要があった。

    1. 革新への地方の関わりと地方への開放、そして最前線の公衆衛生政策

    2. 強いリーダーシップと政治的公約、そして健康制作への他職種連携

    3. パートナーシップを基礎とした、変化、透明性、そして民主的マネジメント

    4. 戦略的思考と計画、そして確実な分配と成果

    5. 将来のニーズへの対応

    6. 地方での団結と国際的なネットワーク

    そしてそのプロジェクトは強固な価値観、確実なエビデンス、先進的な取りかかり方と進め方に支えられており、しかも地方特有の社会経済、組織や行政に敏感で、かつ順応性のあるものでなければならない。

    健康都市とはその土地の健康や環境問題について、既存の都市機能や役割にただつけ加えるものではないことを明確にしておかなければならない。その視野と範囲はより広いもので、”健康は全員が関わるべき仕事である”という考えに沿っている。さらに、健康都市は健康に関して試験的で実践的で、今後主流となるような手法に向かい、かつ公平性と健康の定義・持続可能性に強くFocusが当たっていなければならない。健康都市は、価値主導型の開かれたシステムとして開始され、常に現場から学びがあれば修正し、新たな知見やエビデンスがあれば取り入れてきた。健康都市はすべての都市行政の見本になるべく作り出され、決して参加した一部の都市の利益を求めるようなものではなかった。健康都市は有用な実験を行って新たな知見、エビデンス、知識、方法、経験を得てヨーロッパだけでなくその他すべての都市で活用するための現実世界の研究室として作り出された。

    ヨーロッパの健康都市をその開始から見返してみると、この30年間の公衆衛生の新たな動きが誰にでも容易に理解できるだろう。そこに新しいコンセプトも新たなアプローチ方法もなく、また健康都市によって導かれ、試験される持続可能な発展もない。健康都市は、多くの場合、革新の引き起こす元となったり、後に重要性となる地域でのリーダーシップをとることになってきた。例えば、1998年の健康の社会的定義に関する発表は国際的に健康の社会的定義を定めるため会議の招集に至った。健康都市の戦略的照準は上昇気流への照準を意味し、健康と公平性のためのインパクト大のアプローチを示してきた。WHOの健康都市プログラムから示された革新的な概念を示した他の例としては、住居環境のケアについての発表や健康都市計画、アジェンダ21と地方レベルでの健康、都市部での活動的生活、健康的な老化、ヘルス・リテラシーなどである。

    健康都市はヨーロッパと世界が大きく変化する時代を生き残ってきた。それはベルリンの壁崩壊であったり、ユーゴスラビアでの内戦であったり、EUの拡大や国際化、情報化社会の急速な拡大や緊縮経済、ヨーロッパの社会的外観が大きく変わったことなどを含んでいた。例えば、WHOヨーロッパの健康都市ネットワークは、強い主体性を持ち、クロアチア難民たちに大いなる物質的支援を行ない、強力なネットワークは紛争時でも平穏と耐久性を提供し、政治家やコミュニティからの敬意を受けた。これはクロアチアが独立国となる以前からザグレブが健康都市ネットワークの一員であり、WHOがザグレブ市と直接連絡を取り合う関係を持っていたことが大きな理由である。これによりWHOはザグレブ市に紛争難民の状況を調査するよう、前ユーゴスラビアの首都ベオグラードを通さずに指示することができた。こうした価値ベース型の設立は時にメンバー都市のコミュニティを力付け、彼らの地方のリーダーに問いかけ、変化を求めることになったのだ。

 

5. 行政上の喫緊の課題

    ほとんどの都市は特定のテーマについての、あるいは地理的要因や戦略的要素からいくつかの国際都市ネットワークに参加しているものである。こうしたネットワークへの参加は、特定の理論や価値、そして時には特定の行動をするために表明された各種宣言や意思表示に基づくことが多い。WHOヨーロッパ地域事務局の健康都市ネットワークは、政治、組織、マネジメントなどに関わるいくつかの公約とネットワークそのものと国際的な関わりを責務として掲げている。これが参加国の敬意や名誉の源となっている。しかしそれより重要なのは、それぞれの公約がいくつかの必要性に分解して要約され、成功への道筋が示されていることである。

    政治的な確約があることは計画を立てる段階で重要である。市長その他市のリーダーのサイン入りの文書に記された政治的な約束事だけでは、持続性を保ち事務部の人事異動によるプロジェクトの改変を防ぐのに十分ではない。WHOヨーロッパ地域事務局ネットワークに参加するための市議会決議、公的及び私的機関の他職種連携からの提言、さらには市のプロジェクトについて責任ある立場にいる人への参加依頼や市長など地方政治家に関わってもらうよう要請することなどが考えられる。こうした状況下で、参加都市はWHOヨーロッパ地域事務局長によるネットワーク参加への承認を価値あるものと捉えている。

    マネジメントの変化や改革の推進を行うには、特にそれで働き方がこれまでとは大きく変わる場合、それに必要な知識とスキルがあり、さらにリソースと組織、プロセスによって公的機関や組織、市民団体を動かせるような経験豊富な年長者が必要だ。このようなコーディネーターやプロジェクトオフィスは戦略的に、できる限りその都市の行政機関内に設置することが重要だ。コーディネーターの経験と肩書き、プロジェクトオフィスの政治的リーダーシップとの距離に明暗がかかっていることが示されてきている。健康都市プロジェクトは、政治戦略的なものから単に技術的な実験になってしまえば、その目標には到底辿り着くことはできない。

 

6. 各フェーズの政治戦略的な意味

    健康都市は五年ごとのいくつかのフェーズを経て発展してきた。そしてこれらのフェーズごとに目標や課題の定期的な見直しを行なってきた。それは結果を評価して進捗を分析するには十分長く、一つのフェーズを区切りとしてメンバー都市がそこで脱退することも可能であった。こうすれば政治的な”コスト”を抑えることにもなるのである。健康都市プロジェクトに特徴的なのは、WHOヨーロッパ地域の中で、あるいは外も含めて、統合されており、二年ごとのサイクルで計画策定を行なっている。各フェーズはその都度古くから参加している都市と新たなメンバーの顔ぶれでスタートする。フェーズ内の活動は健康都市プロジェクトの動きを活力に満ちた強いものであるように保たれるよう、最も有効な方法が考慮される。

 

 

 

7. 包括的国際活動への参加と支援

    健康都市に対する関心は急速に広まった。信頼に足る国際ネットワークは管理が容易でなければならない。しかしながら、健康都市の場合には従来のように、まずは実験的な都市を作ってモデルとするようなやり方を踏襲しようとしても不適合だということがわかってきた。そして、ネットワーク開始から数カ月の間にヨーロッパ中の都市に課題を与えた。結果としてWHOが、興味を示した全ての都市に対して参加を促し、ネットワークを作り上げたのだが、WHOのキャパシティ不足から、WHOが面倒をみられるのはヨーロッパ地域の100都市が限度だった。WHOのヨーロッパ健康都市ネットワークが立ち上がった頃、それぞれの国内のネットワークも構築されており、そのプログラムの誕生が見てとれた。WHOはヨーロッパ健康都市ネットワークや参加国の国レベルのネットワーク管理者との交流によりとそれぞれと直接仕事ができた。健康都市の国レベルのネットワークはヨーロッパの31カ国、約1500の都市で構成され、地方の代表者と法的に保障された形でスタートした。

    国レベルのネットワークを使えるということは将来の健康都市活動にとって大変ありがたく、健康都市の理論や概念を広めるのに戦略的な役割を果たし、個別の都市をサポートし、教育イベントを企画して、さらにいろいろな省庁と協業して国のプログラムとの整合性も考慮できるようになる。国レベルのネットワークは各フェーズの開始時に、WHOヨーロッパ地域健康都市ネットワークに参加する都市に課せられた最低限の条件に加えて、そのフェーズの見通しと目的を反映した基準に基づいて認定された。こうした国内ネットワークはさらに、ヨーロッパレベルでの公衆衛生の基盤として重要な役割を担うもので、同様のネットワークはWHOの他の地域、西太平洋地域、アメリカ地域、東地中海地域でもすでに構成されていた。

    ヨーロッパ地域での健康都市の動きのうち最も戦略的に重要だったのは、毎年開催される経済会議と技術集会だった。WHOヨーロッパ健康都市ネットワークやヨーロッパ各都市の国内ネットワークが開催する会議は主として政治的、戦略的であり、常に参加都市や地域ネットワークに関わる政治家が参加していた。毎年開催される会議の目的は、WHOヨーロッパ健康都市ネットワークにおける戦略面、管理面、あるいは技術面での課題について共同で決定を行うことで、経験を交換し、健康都市のテーマと各フェーズの優先順位の高い問題についてのエビデンスと専門知識から学び、今後問題になるであろう課題について認識を共有しておくことだった。ヨーロッパの健康都市は家族のようになり、新規参入者を常に歓迎した。新規参入都市からは定例会議に市長や政治家、コーディネーター、他の都市からの職員やネットワーク管理者などが参加した。定例会議の開催はひとえに参加都市からの温かい協力によって支えられており、その内容は新たなコンセプトと新開発についての発表や意見交換、政治家たちのパネルディスカッション、主要テーマへの都市の取り組みからの知識の共有、戦略的ディベート、さらに教育やトレーニングイベントも含まれていた。

    5年ごと、各フェーズの終わりに、大会議(800-1000都市からの参加)が開催され、これはヨーロッパとそれ以外の地方の都市も参加可能である。この会議は、各フェーズを分析による達成度と結果を知り、新しい政治宣言とともに新たなフェーズを正式に開始する重要な機会となっている。

 

8. 内容の構成:公衆衛生の最先端での戦い

健康都市は改革への道具であり足場である

    健康都市は変化と改革を公約に掲げ、その仕事を達成するために戦略的やり方を持続なければならない。それは些細で古くからの動機づけと活動に限られてしまうと、確かにそれらも重要ではあるのだが、従来からの日々の公衆衛生や環境管理のルーチンワークに追われてしまう。不公平や社会的弱者、健康の定義や持続可能性など新しい課題に手をつけるには行政が行うことが適切であるという政治的判断を要することが特徴的である。それはおよそ30年前の導入時に行政全体、あるいは社会全体というアプローチを基盤にして作り出された。最も大きな強みの一つがヨーロッパ全土に行き渡った政治的、社会的、そして組織的な多様性である。

    各フェーズの実行計画、テーマ、目標WHOヨーロッパの優先順位と戦略を反映した。すなわち、世界的な戦略と優先順位、そしてヨーロッパの都市部において湧き上がってきた課題(健康、社会、環境)である。個別のテーマや支援については、フェーズ開始前にWHOヨーロッパ健康都市ネットワークと国レベルのネットワークに参加している都市と密接に連絡を取り合いながら決定され、プロジェクトにおける強い基盤を植え付けた。

    フェーズごとに主要なテーマと目標を持った上で、各都市はそれぞれ地域の現実に見合った重みづけや微調整を臨機応変に行った。しかしながら、全ての都市は全てのフェーズで包括的で革新的なテーマでプロジェクトを進めるよう求められ、地方レベルでも新しい概念の創出やアイデアの提案を求められた。各フェーズの課題やテーマの中のいくつかは、その地方に適切な新しい概念や仕事を必要とするからである。

 

9-1. フェーズVIIの骨組み

    フェーズVIIの骨組みは、市長主導によるコペンハーゲン合意を土台としている。これはWHOヨーロッパ地域事務局が指名したヨーロッパ全土からの都市の市長や政治家で構成される政策グループなるものによって作られた。このプロセスにはそれぞれの地域へ面談や文書による個々の依頼に18ヶ月を要した。

    市長によるコペンハーゲン合意は、健康2020, 2030アジェンダ、そしてGPW13に関連している。「健康2020とヨーロッパ政策に基づく健康と福祉に向けた持続的開発のための指針」をヨーロッパからの全参加53カ国で採択したことにより、各地でフェーズVIIへの取り組みが活性化した。これらの文書はいずれも健康政策のための地方政治の重要性について触れており、さらに行政における全ての部署、社会における全ての業種が一枚岩になることに焦点を当てている。

    フェーズVIIは地方行政がコペンハーゲン合意を取り入れていくことが容易になるよう、適応性がありかつ実務的になっている。特徴的なのは、都市あるいは地方レベルにおける連帯教育により知識や経験を共有できることである。各都市にはそれぞれの事情があり、状況に応じてフェーズVIIの目標と重点項目の達成を目指していルことを承知している。2030アジェンダ、GPW13、健康2020を進めていく上でフェーズVIIは各都市が主要なステークホルダーと協力し合い、革新と変化の可能性を育て、各地域の公衆衛生課題を解決できるようサポートし、啓発することだろう。

 

9-2. コペンハーゲン合意とは

    「市長らによるコペンハーゲン合意」は、2018年2月に国連都市であるデンマークのコペンハーゲンにおいて開催されたWHOヨーロッパ健康都市ネットワークサミットにおいて採択された。安全で包括的で持続的で耐性に富む社会を創造するための変革的なアプローチを提案するものである。

    • 健康都市は、行政の強化と参加を通して健康と福祉を育み、市民に公平になり、コミュニティの資産となるような都市空間を作り、平和な地球のための人的投資を行う。
    • 健康都市は実例に基づき、健康と福祉の不公平をなくして行政力を強化するために、革新、知識の共有と健康外交を通して政治力とリーダーシップを発揮する。
    • 健康都市は、NCDや感染症、環境問題や健康サービスの不公平、薬剤耐性など世界規模の公衆衛生の課題を克服するためにリーダーとして、あるいはパートナーとして活動を行う。

 

10. 他地域のWHO事務局、WHO本部、その他のパートナーたちとの繋がりとネットワーク

    健康都市構想はヨーロッパ地域においてWHOの主導で始まり、すぐに他地域に広まった。健康都市プログラムのバリエーション(健康市庁舎、街、コミュニティ、村、島、地域など)は今や確立されたものとなり、アメリカ、西太平洋地域、東地中海、アフリカなどの地域、と東南アジア地域の一部で見られている。1990年代、WHO本部に健康都市の拠点があった。しかし残念ながら、この役割は約20年の間に失われていった。健康都市について各地域のWHO間で共有すべき対話や経験を共有することは常に必要とされる。健康都市についての地域間の情報交換はよく行われており、神戸のWHO健康開発センターは、一時期都市部の健康について、特に不公平是正に関しては都市部における健康の公平性評価・対応ツール(アーバンハート)に焦点を当てて、中心的な役割を果たしていた。神戸センターはまた、国際連合人間居住計画(ハビタット)において協力と連携の拠点にもなっていた。神戸センターは、「都市部の健康に関するグローバル・レポート」の作成を指揮していた。

    長年にわたるWHOヨーロッパ地域健康都市ネットワークは世界規模あるいはヨーロッパ全土にわたる幅広い連携により成長し、支えられてきた。その中には、ICLEI(International Council for Local Environmental initiatives:持続可能な都市と地域をめざす自治体協議会)など日本からも自治体が参加している組織や、国連のUNICEFやOECDなども含まれており、ヨーロッパ発祥のこの活動が他地域の国あるいは地方レベルでの健康プロモーションにつながっていくことが多いに期待されている。