大変ご無沙汰してしまっております。
2024/10/13、柏市妙照寺本堂で工藤の一周忌法要をつつがなく終えました。
寸胴型骨壺は討死の首桶のようで、いまいち馴染みません。
※首桶とは
当地では納骨しても壺から出さず、遺骨はずっとこの中で過ごします。
娘が学校に行ける日迄は、仏壇の側にいてもらうつもりです。
工藤がいなくなって早、365日が過ぎました。
私共が着手してきたものの次の形態を模索し、世に残すことで工藤の痕跡にできればと願い、幾つかは形になりつつあります。
まだ未定ではありますが、勝美商店豊四季時代に作った「金魚の飴ちゃん」が、内容物と機能を大幅に向上させて復活し、私共ではなく(共と書く癖が抜けません。正しくは「私一人」なのですが)大手メーカー経由で市場流通できるのではないかな?というところまできております。
この件は詳細が決まりましたら、またお知らせをいたします。
次に、たんぽぽ君のご報告です。
工藤のことが大好きすぎて、私を蛇蝎のごとく嫌った、お父さん命の小心者のたんぽぽ君。
2023年夏頃から一気に老化が進み、野良猫時代に貰った猫エイズも顔を出し始めておりました。
来るべきものが来た、ここからはこの子の晩年だ。と覚悟を始めた私に対して、工藤は
「ちぽを看取るぐらいなら俺が先に死ぬ、それで迎えに来る。ちぽのいない世界は想像できない、生きていけない」
と、驚くほどに狼狽えたのを、この夏少しばかり懐かしく思い出しました。
本当にその言葉どおりにしてしまうとは…、と。
帰らないお父さんを待って待って、大嫌いなお母さんのお世話を受けるのが嫌で嫌で、毎日毎日玄関を凝視して。
2024年8月27日から自力で食事ができなくなり、強制給餌で復活を祈るも、最終的には水分だけでも、と輸液頼みになり。
10月1日19時30分頃、遂に下顎呼吸を始め、20時少し前頃息を引き取りました。
午前中に立たせたところ倒れそうになってしまったので、これはもう間近かもしれないとは思いましたが、驚くほど早く旅立ってしまいました。
せめて10月14日迄は、と。私も一ヶ月間は張付き通しになったのですが、なんとなく工藤がみかねて強制終了したようにも感じられます。
いつも定位置だった玄関を凝視できる場所ではなく、ベッドサイドに出て来て横たわっていたので、迎えに来たのかな?と。。。
たんぽぽ君を看取ってあらためても思うことは、どんなに辛くても飼い主が看取らないと動物が苦しむばかりということです。
お父さんを求めていることはありありと伝わって来るだけに、あまりにも不憫で申し訳なくて、私は「お父さん連れてこれなくてごめんね」と毎日謝るばかりでした。何千回謝られてもちぽちゃにしてみればお母さんもっとキライになった筈です。
一個も望むことをしてあげられなくて、強制給餌だの輸液だの、ただただ苦痛ばかりの晩年だったと思います。
たんぽぽ君を工藤の専従にしていたことを死ぬほど後悔しています。割って入っても、私が関係を作っておくべきでした。
せめて今際の際に工藤に再会できたことを願うばかりで、こんなにやりきれない看取りはもう経験したくありません。
雨が切れた10月6日、ちぽちゃを工藤のシャツに包んで埋葬しました。
雨が止むまでお世話になったドライアイス屋さんはこちらです。
https://www.dry-iceberg.co.jp/ 自分自身非常に慌てて探したので、必要な方の目に止まりますように。1kg〜店頭小売していただけます。
たんぽぽ君を譲ってくださったT様A様。
2023年夏頃まで、無症状で楽しく暮らす事が出来ました。発症後も一年以上頑張って、一般的な平均寿命を超えることができました。
工藤の心の拠り所として、誰よりも大切な猫になっていたのは間違いありません。
可愛い良い子を本当にありがとうございました。
追伸:メンフクロウのフクフクちゃん、機会があれば逃さずハウス!を続けています。
人が足りないせいで距離が出せないのがもどかしいのですが…
一周忌が終わりましたので、本当に通常運転に戻せるように、尽力して参ります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
坂巻







