↑2014年以降始まった、ウクライナ問題と私達の関わりは、上記テーマにまとまっています。


ここ数日、文字を書く精神状態になれず、様々なことを考えておりました。特に強烈な報復感情の始末に困り、フラットに引き戻るには多くの努力が要りました。

本当にありがたいことに、何人かの当時を知るお客様からご心配のメッセージを頂き、一度は書かないといけないのだろうな、と思い、書き始めた次第です。


私達は東部住民、当時【ドンバス地方】と言っても誰も理解してくれなかったものですが、ドンバスサイドにしか立った見方しかできませんし、しません。

ですから、開戦の一報には「嬉しかっただろうな」と思いました。同時に「遅かった」とも。


あの日キエフから続く国道を土のうで封鎖して、マイダンの立ち入りを拒否した元祖DNRの住民達、一体何人が今なお戦っているのか、おそらく全DNRの将兵の中に数名は居るのだろうけれどもー、と。

ふと思い出したのは、「項羽本紀」七章、烏江亭長との対話のくだりです。

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項王笑曰、「天之亡我、我何渡為。

(項王は笑って言った。「天が私を滅ぼしたのに、渡河して何になるだろう)

且籍与江東子弟八千人、渡江而西。

今無一人還。

(私は江東の子弟八千人を率いて西に軍を起こしたけれど、一人として帰還させることができなかった)

縱江東父兄憐而王我、我何面目見之。

(遺族が哀れんで私を王にしてくれても、何の面目があって彼らに再会できるだろう)

縱彼不言、籍独不愧於心乎。

(何も言われなくても恥じ入るばかりだ」)

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助けが来るには8年がかかり、おそらく現DNRには開戦から戦い続けている人は稀な筈です。

無常や寂寥といった感情に支配され、心象風景としては遺影を抱えてもう遅いよとミサイルの弾道を見守るような。

最初はそういった心理状態になりました。


おそらく数少ないドンバスを支援していた日本人のほとんどが、この事態の当初は多かれ少なかれそういった寂寥感の中にいたのではないかと考えます。


8年間のドンバス紛争で、多くの無防備な住民が政府軍に一方的に虐殺されました。

一刻も早く故郷を捨てて逃げてほしいと、世界中の支援者が説得し続けました。


しかし「内戦」や「市民戦争」が呈する最大の悲劇は、攻守双方が顔と言葉のわかる隣人同士であった、という点に尽きます。

戦場は逃げ込むべき故郷の中にあり、逃げられず、武器を置けなくなるのです。


巻き込まれた現実の戦争において、とても大切なことですが、死ぬのは一回だけで、それは時として簡単で楽な選択です。

逃げて生き残ることが特に困難なのは、毎日「恥」や「報復感情」と戦わねばならず、自分自身との戦いに勝利し続けなければ生き残れないからです。


特にこの感情の始末は酷く難しく、完全に物理的な分断が実施されても尚、心を激しく苛み続け、容易に時が巻き戻されます。

殊、ヘイトクライムにも似た偏向報道に触れるにつれ、目の前のドンバスの残骸・抜け殻に再び命が吹き込まれ、取り戻しのつかない断末魔の絶叫はいつでも目の前で再現され、生々しい報復感情が再燃してしまうのです。


命に軽重は、残念ながらあります。

特に民族紛争時、迫害を受ける側の命は虫並みに扱われます。

根絶やしを試みているのですから、対象者は乳幼児、幼児、子を生む若い女性、伝統を伝える老人や知識人。要は戦場で駆け回る層以外全部が虐殺の対象者です。

キエフ政府軍の攻撃は、当初乳児院や保育園、産婦人科、老人ホーム等、許容し難い箇所に集中しました。悲劇としか言いようのない人数の子どもたちが命を奪われました。

そのことは8年前から何度も訴え、所謂西側のメディアすら認識していた問題です。

ところが、現状の偏向報道はどうでしょうか?

ドンバスの虐殺は当然のことで、戦争反対とか言われても納得できるものではありません。


ウクライナの根強い民族差別の萌芽は、2007年に初めて誰の目にも見えるものとなりました。

それがいわゆる、ウクライナ21事件です。

裁判所の判事の息子やその他政府高官の子弟ら19人の少年が、

ロシア系住民や旅行者、妊婦や高齢者ら21人を無差別に襲撃・殺害し、スナッフフィルムを販売しようとした事件で、流出した動画は当時全世界のインターネットユーザーを震撼させました。

最も重い刑で懲役6年で出所した19人の犯人のうち数名は、ウクライナ政府軍の戦闘員として大暴れしています。

彼らに心を寄せて、資金支援までした日本人が今回とても多いのは、極めて残念な出来事だと感じています。

惜しむらくは、この時にロシアがウクライナに於いてはヘイトクライムの被害者で、被差別民族として弾圧されていることを強力に世界に発信しなかったことです。

この話になるといつも袋小路になりますが、ロシア人のプライドがそれをすることを許さなかったのではないかな、と。個人的には感じています。


これら長年に渡って積み上がったバックヤードを考えることもせず、ひたすら戦争反対だけを言い募る人は、潜在的な人種差別主義者で、露骨に差別する勇気がないだけの卑怯者なのかなぁ、等など。沈黙のうちに思いを馳せてしまいます。

戦争なら8年前から続いています。なぜそのときに戦争反対を言わなかったのでしょう?

そもそも理解しあいたい、という感情も尽きました。

特定の民族を殺すことが善であり美であり快であると考えている人々とは絶対にわかりあえません。


なればこそ、開戦やむなしとなってしまうのですが、そこで思考停止をする訳にもいかないのが「外国人」の苦しいところでもあります。


偏向報道にヒステリックに煽られて、皆が同じ方向を向くのは、とても心地よく楽な事です。高揚感・一体感に守られて、コロナの恐怖も吹き飛んだことでしょう。

なんでも「フェイク」にすれば全部思い通りになりますから、全能感・万能感は如何ばかりでしょうか。


このご時世長文は好かれませんから、いくつかに分けてウクライナから離れた視点から思うところを書こうと思っております。


最後に誤解があると嫌なので申し上げておきますが、私どもはロシア軍の侵攻については

・あまりにも遅すぎた

・結局ドンバス住民は政治の道具

・一日も早い終結を

と、願っています。