緊急事態宣言の期間中、なんとはなく流していた国会中継で、質疑に白眞勲議員が立つのが目に入った。
(ああ…蓮舫議員も終わったことだし、そろそろテレビを消そうか)とリモコンを手にする間に、白眞勲氏はマスク不足の話題に触れた。
(そりゃ普通に仕入れるだろうな、白氏はルートを持ってる筈だし。だとしても、彼はどうやってそれを日本に……)
ぼんやりと考えられる限りの輸送手段を考えて、韓国在日社会には自分が知る以外の特殊な方法があるのだろうか等々思い浮かべていると、突如として白氏は吐き捨てた。
「マスクなんて…あんなもの、金輪際、私は二度と関わりたくない!」
そのまま次の話題に入る白氏を見て、たまらず私は声を出して笑ってしまった。
その言葉は今まで白氏が発したどんな言葉よりも、鋭く耳に突き刺さり、心の奥底に奇妙なシンパシーすら催させた。
打てる手の全てを強制的に吐き出さされた後、他者に成否を委ねる時間を過ごさざるを得なかった極めて不快な日々の中、白眞勲氏の言葉は変な癒やしすらもたらした。
ほんの少しだけ、白眞勲議員が好きになった。

おそらくあの時期、マスク輸入に関わっていた人間全員が同じ地獄を体験させられた運命共同体だったと今では確信できる。

最初はちょっと特殊な普通の輸入だったと、それだけは断言する。
私達は、子供の小学校に寄贈する為、3月上旬に1カートン半のマスクと消毒液を手配した。全国一斉に休校措置がとられ、取り敢えずどこの小学校でもマスクの大量消費はしなくてよくなったと。ハードな延着が発生しつつある中であったが、時間的な猶予はまだあるように思われた。
伝手を探して、確かな品質のものを製造している軍隊の直属工場を選び、販売可能な生産余剰品を譲り受ける取引をまとめて、普通にクロージングする。中国国内でマスクは暴騰し始めていたが、国営工場の売り渡し価格はCOVID19以前と同様に安定し、特に困難の無い取引だった。
少し事情が異なったのは、用途に関して誓約書のFAXを求められたことと、寄贈先の証明が必要だったことで、それは難なくクリアーできた。
その時は流れるように話が運び、輸送に関しても救援物資扱いで載せてもらえることになり、成田から先のフォワーダーを手配すれば良いだけになった。その時点で成田では通関業務にあたる職員に感染者が出て、日系のフォワーダーは臨時休業だったので、中国経由でアメリカの会社を手配した。
ーーー何も、疑念を持たずに。
ほどなくして荷物は深夜の輸送機で成田に入り、荷下ろしの後支援物資から分けられて、通関前にフォワーダーに引き渡された。スキャン時刻は23時過ぎ。フォワーダーのトラッキング番号が付与され、追跡できる状態になった。時間も時間なので、通関は明日だろうなと思い、何も疑問を持たずにその日は休んだ。

それが、最初のマスクの最後の記録となった。

次に知らせが入ったのは二週間後。その間、幾度となくフォワーダーに問い合わせたが、工場側から手配(契約)したことがネックとなって、【説明は荷主にする。受け人に説明をする義務は無い】という答えしか得られなかった。二週間後、工場側から、日中英がちゃんぽんになった取り乱したメールが送られてきた。解読すると、信じがたいことに通関前のゾーンで盗まれたと言われた、賠償をするというので、直ちに再送する、私達にも今起こっていることが理解ができないが、どうかわかってほしい、と。そういう内容だった。


・・・2に続く