先日

「鱒屋へ贈るララバイ ”我が亡き後に洪水よ来たれ”」

https://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-12343355988.html

にて、水産行政の精神遅滞が歴史的な不漁の原因になっている旨、記事にした。

 

本日サーチナで、面白い記事が掲載された。

日本は中国のせいにするな! サンマやうなぎの不漁は「日本のせい」=中国メディア
http://news.searchina.net/id/1651909?page=1
2018-01-19 11:12 

以下記事引用となる

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 うなぎ稚魚が深刻な不漁だという。2017年12月における国内の漁獲量は約0.2トンにとどまり、このままではうなぎの大幅な値上がりは避けられないと見られている。
 中国メディアの今日頭条は18日、日本は自分たちで魚を獲りすぎたくせに、漁獲量の減少を中国のせいしていると主張し、「日本は自分たちの行ったことを中国の責任にしようとしている」と主張する記事を掲載した。
 深刻な不漁に見舞われているのはうなぎだけではなく、秋の風物詩でもあるサンマも同様だ。17年はサンマが不漁だったことから、気仙沼では「サンマまつり」が中止に追い込まれたが、この不漁の原因について「中国などが乱獲したことが原因ではないか」という声があるのは事実だ。
 記事は、日本では近年、サンマをはじめとする漁業資源の漁獲量減少が問題になっていることを指摘する一方、日本は長年にわたって大量に漁業資源を獲ってきた「魚の消費大国」ではないかと主張。日本国内では中国の乱獲がサンマ漁獲量の減少につながっているという声があることを指摘する一方、中国が17年に北太平洋で獲った漁業資源は6万トンほどであり、日本の20万トンを大きく下回っていると主張した。
 さらに「漁獲量の差から見ても、サンマなどの漁獲量が減少しているのは日本の長年にわたる乱獲が原因であることは明らか」であるとし、それを中国のせいだと主張するのは「責任転嫁」であると主張。日本の漁業資源の乱獲は「鶏を殺して卵を取り出す」ような行為であるとし、資源保護の重要性を訴えた。(編集担当:村山健二)

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これに対する反論は

1)地震と津波で海底地形が変わったせい

2)黒潮大蛇行のせい

3)中国のせい

4)北朝鮮のせい←New!

大体この4つ、もしくはこれら幾つかの複合体に収束することが想定される。

だが、おそらくだが、

5)原発事故のせい

という選択肢は未来永劫示されないであろう上に、

・魚の高騰→庶民の生活が苦しくなる→安倍総理の政治が悪いという論調パーツの一部

・〇〇のせいと政府機関が応酬しあう外交儀礼の一環

・水産加工業者の連鎖倒産(既に始まっている事態)→アベノミクスが悪いと(ry

この調子で言葉遊びが繰り返され、肝心のプレーヤーや主犯が不在のまま、いつしか「消費」され忘れ去られることが容易に想像できる。

決して、根本的解決策が論じられたり、ましてや実施されるような楽観的な未来は思い描くべきではない。

 

言葉遊びのようだが

獲りすぎたから獲れなくなった。

とは、本質から目を背けさせる言葉である。

この場合、「撒かぬ種は生えぬ」とか、つまりは

作ってないので枯渇した

と表現するべきなのだ。

 

今現在進行形で「歴史的な不漁」が継続している魚種は

・ウナギ

・サンマ

・イカ

・カツオ

・サケマス

等である。

唯一豊漁なのはイワシだけだが、これは生活史の豊漁周期に当たっているだけなので、まもなく不漁に転落することが想定される。

サケマスは従来のやり方を変えれば、下手をすると予算を削減した上でも十分回復可能な資源だが、

ウナギとサンマ

この2魚種の減少は、確実に「日本のせい」と断言しても良いのではないか、と考える。

 

忖度が横行する水産行政の中には、

「ウチから出ないものは存在しない」

という古代人並みの精神性がいまだ根強く存在する。

つまり、センタープレーヤーとお上(国とそれを取り巻くガクシャ先生方)に認定された研究者や機関にしか予算は集中されず、彼らが出した以外の成果が認められることは皆無に等しい。

はっきりと申し上げて、ウナギは種苗化の可能性が最も高い資源である。

「あった」と過去完了形でいうべきなのかもしれないが、それは当局の心がけ次第でどうにでもなる問題であるやもしれぬので、「ある」と敢えて現在進行形で言う。

何故、それをできる人間をセンターに据えて、全予算を叩き込む芸当ができなかったのか?

誰かが失脚する「かもしれない」という問題と、Anguilla japonica という種族の絶滅の危機が等価交換になってしまった理由とは?

つまりは「忖度」の成せる業であった。

 

次にサンマ。

21世紀の2018年にあって、なぜ誰もサンマの雌雄について明確な説明ができないのか?

サンマがいつ雌雄に別れ、どこでどうやって卵を産んで繁殖しているのか?

サンマの稚魚がどんな姿をしているのか?

サンマの卵巣を見たことがある人間がこの世に存在するのか?

これは不思議とか謎とかそういう問題ではない。

真摯に解明しようとし、サンマの生活史に肉迫した人間は無数に居る。

それと同じだけの「忖度」が、頭一つ出ることを赦さなかった。ただそれだけのことなのだ。

2011年3月11日直後の時点で、

もしかしたら日本海側のサンマと太平洋沿岸のサンマは全く同じグループで、日本列島をグルグル回っているだけなのかもしれない?

程度のことはわかっていた。

もしそうだとすれば、サンマは食べてる場合ではなく、早急に種苗化の道を模索しなくては下手をすれば回復不能な水準、つまり壊滅的な大不漁期が来ると。(そのことは311以降、何度も拙ブログでも触れている)

だが、その危惧に対して何か現実的な方策がとられることはなく、黄変種が頻発した後、サンマは大不漁となった。

 

”ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ”

意味:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1096458985

とは、

時代の終末期にはどうすれば良かったのか明確に理解することができる。

つまり転じて

賢いネズミがすべて逃げ出した後の舟、というか絶望的な後の祭り、を揶揄する言葉として使われることが多い。

今回の場合の時代の終末期とは、

日本人の魚食文化

であるのか否か、それは全くわからないのであるが、

ウナギやサンマの保全状況が、水産庁からユネスコとかの管理になってしまう前に、

忖度主義とでもいうような保身主義を、日本国民がぬるく優しく税金をくれてやって見守り続けてくれる時代の終焉であればどれほど良いかと!

それはパンドラの箱に残された一縷の希望を願う程度の心で祈るばかりである。

 

文責:水棲疾病基盤研究所

 

【関連記事:追記】

ウナギを食べたい人たちの言い訳(小田島隆氏)

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/011800127/

日経ビジネスオンラインに登録しなくても、誰でも読める無料公開分だけで十分すぎることを仰ってくださいました。

是非さわりだけでもご一読ください。

 

私どもが危惧していることに、異常体色個体の頻発の後に生息数が激減する野生種の性質がございます。

サンマはかつてないほど黄変種が捕獲された後に現在の状況に至りました。

ウナギにも、「ダルメシアンウナギ」と呼ばれるタイプのものが頻発した年があります。

何を言ってもそれは後の祭りなのですが、

せめてウナギを種苗化できる可能性のある人物・機関をセンタープレーヤーに据えて、潤沢な予算を叩き込む程度のことは、ウナギを永く食してきた文化圏の国家として、最後の餞別・文化を看取る葬送の餞程度に捧げても良いのではないかと、これだけは口惜しく存じます。