鱒の高温飼育シリーズは、
高温飼育の成功及び、疾病の制御、そしてギネス申請を行い、
十分成果が達成されたものとし、一応のピリオドを打たせて戴いた。
あの夏、私は夜も昼も無く、ほぼ24時間鱒の水槽の前に陣取り、疲労困憊していたことを思い出す。
しかし、十分な結果は出せた。
これは多数のお客様方々も直接目撃した事実であり、証明を出せと言われれば即座にデータの提出及び再現可能な現実である。
従って、これについては暫く休むつもりで今年は鱒水槽を別の試験槽に改良しようと思案中である。
ところが、
ある事件が私達の元に寄せられた。
これは現在進行形につきどこまではっきりした表現をしたらよいのかわからないのだが、
我々から見ればこれは当然起こった事件であり、寧ろ震災で先送りになっていた分、鱒屋諸氏には良かったね!とすら思っていたのだが、
庶民の前に明らかにされた形としては、
イクラや筋子が歴史的な品薄&異常暴騰を継続中である、と。
漁に出た漁師さんの船にサケマスが入らない、と。
あれだけ稚魚放流をしているサケマスは一体どこへ行っちゃったの?的な記録的な不漁が続いている。
そんな中、
いつの時代も生贄は求められるもので、
とある水試(鱒屋一派)の弟子が、夜間お酒を飲んで気持ちよくなったところを、
生活のかかった漁師さんに襲撃され、海の上にスマキ同然にされて放り出された、・・・・・と。
当然本人は命の危険にさらされたので被害届を出したのだが、
鱒屋の先生たちがそれを制止し、無理やり被害届を取り下げさせて、夜外に単独で出歩かないように周知した・・・・・と。
外野にとっては極めて面白い事態になってしまっているのである。
鱒屋連中がやり続けた、成果を黙殺し、自らの保身だけに邁進した当然の結果が、今こうして収穫されている。
彼らは魚病に向き合わず、疾病が出たときの鎮圧とは「破壊消防」-つまり、感染魚を可及的速やかに隔離して廃棄する。
そして、足りなくなった種苗は中国や東南アジア等から買ってくる。
それを放流して港湾内で全て死に絶えてても、自らの仕事は完璧に終えた、と評価をし続ける。
ひたむきにそれを続けた結果、獲る魚が減ってしまった、と。
こうなることはわかっていたのに、何一つ手を打たず、先達の先生方に忖度を続け(やっとそんたくって使った!)
事なかれ主義を守り、配慮に配慮を重ねると、最後は弟子が漁師さんに襲われても逆に漁師さんに謝罪をしに行き、弟子の安全も守れなくなった。
漁師さん方が怒るのは至極当然で、
国からお金を貰い、生活を保障され、研究と称し傍から見れば遊びのようなことを続け、結果放した種苗が瞬殺で斃死していると告げれば「不思議ですね!」と返事をするような集団が目の前に居れば、襲いたくなるのも無理からぬことである。
日本が平和であると思うのはこんなときで、別の国ならばミンチにして魚の餌にされたり、乱射事件が起こったりするだろうに、若者一人襲撃する程度で勘弁してもらえるならば御の字と考えるべきなのかもしれない。
ここ数年、サケマスの放流量は劣化の一途を辿っている。
種苗を確保しても疾病がパンデミックを起こし、丸ごと種苗を放棄したり、
やっとの思いで放流サイズまで育て上げて、旅立ちの日を迎えれば、放流したものは虚弱すぎて瞬殺で斃死。
仕方がないので中国から種苗を買ってこようとしても、中国も漁獲割り当てが必要なので売ってもらえなくなりつつあり、
ロシアからは日本の漁獲高が我が国の放流量に食い込み続けている、もっと放流しろと激怒され、
中国に漁場を売ってしまった北朝鮮は、国を挙げて木造船で日本海に魚を盗みに来ている・・・・・。
これがここ数年のサケマスの現状であり、スーパーの鮮魚売り場でイクラの価格を見れば皆様実感できることかと思われる。
この現状を見ても、これは我々が学生や研究員だった頃から言い続けてきたことであり、
今更こうなってると言われても、「(´・∀・`)ヘー、そうなんだー」としか思えない。
何も心に響いてこないし、それでも尚顔見知りの鱒屋が椅子にかじりついていると聞けば、「面白いね!」とすら思う。
よしんば何か言われれば、「うーん・・・」という返事ぐらいならば出来る。
全くの外野からこの状況を見ると、鱒屋というのは思考回路に何か先天的な障害があったり、
或いは鈴鹿イチロー君の如き人物の集団
(鈴鹿イチロー君に見る水産学の行方:参照)https://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-12254044181.html
であるように感じられるかもしれない。
しかし、彼らは馬鹿ではないであろう?と、思いたい。
考察するに、
当研究所としては、彼らと似ているのは、フランスのルイ十五世の公妾・ポンパドゥール夫人ではなかろうか?と推測する次第である。
https://goo.gl/CDpQuD (wiki)
フランス革命というと、面倒ならばイノサンあたり読んでおけば良い。
イノサンRouge http://amzn.asia/5L6gQLR
フランス革命の責任者、と言うと、とかくマリーアントワネットばかりがやり玉に挙げられて
「パンが無ければお菓子を(ry」だの、首飾り事件だのばかりが取り上げられる。
どういう訳だか、ルイ十五世の公妾、ポンパドゥール夫人がフランス革命の主犯級人物として評する声は以外と少ない。
しかし、フランスの国費を濫費した主犯は間違いなくポンパドゥール夫人である。
彼女は王の寵愛を失わない為に、「王の為」と称した出費を惜しまず、喜ばせるために贅をこらし、まき散らすように国費を濫費した。
ルイ十五世の晩年には、既に重度の借金体質となり、若すぎる王子様(ルイ十六世)とお姫様(マリーアントワネット)がどう倹約を重ねても、国家財政としてどうにかなるような段階を越えていた、と。それは複数の研究者から指摘がされている。
政治家としても有能なポンパドゥール夫人の悪辣さが殊更ずば抜けているのは、彼女が自分のやっていることが何であったのか?その本質について理解をしていた点にある。
Après nous le déluge(我が亡き後に洪水よ来たれ)
とは、彼女が晩年にルイ十五世と「将来について語るときに」多用していた言葉として伝えられている。
穿った見方をしなくても、その真髄とは、
--- 自分一人が立場を守り、無事余生を送れれば、関わったもの全ての将来と幸福を、世の中の総てを台無しにしても良い。
つまり、究極の自己愛であり、エゴイズムの発露、と見られても致し方ない。
概念として思うだけでなく、実際にそれを実行していた当事者の言葉として、また、有史以来あまたある権力者の暴言の中でも、これほど酷いものは無いとしみじみ思う次第である。
少なくともまともな人間ならば、何かや誰かを愛して、利他の精神が起こるはずなのだが、ポンパドゥール夫人の行動や発言には強烈な利己心―究極の保身以外を見ることができない。
秦の趙高に比肩する邪悪な人物であると思われるのだが、逮捕も処刑もされなかっただけ、彼女の方がより狡猾だったと感じられる。
ポンパドゥール夫人だの趙高だのは歴史に残る規模の異常な悪人であるのだが、
悲しいかな、スケールを限りなく縮小したとき、彼らに近い保身主義は、至るところに散在する。
それこそ「忖度(二回目!)」など、保身主義が蔓延しなければ起こりようも無い配慮であるし、保身と引き換えに自らの所属する組織を壊滅させた事例など、あげればきりが無い。
何も始めなければ何も起こらず、
今居る鱒屋族のセンセイ方が定年まで無事フィニッシュして退職金をゲットできる。
センセイにとって得をすることの方を忖度(3回目!)して周囲は動き、当事者も言外にそれを要求する。
自分たちが潰しているものが、論敵の将来だけである、と純粋に信じているのならば、おめでたい限りである。
海や河川の自然の力をあまりにも無邪気に信じ、過信して何もしなかった結果、鱒屋族のかじる脛がなくなり、水産業そのものが瓦解寸前まで追い込まれ、何か大切なものが消滅してしまうかもしれない瀬戸際を今我々は体験させられている。
よもや、ポンパドゥール夫人の如く
「Après nous le déluge(我が亡き後に洪水よ来たれ)」
などと己の所業を自覚しているのであれば、いっそ天晴な居直り根性であるのだが、
よもやその時が来ても
「不思議ですね!」
とは言わさぬよう、漁師諸兄には重々監視していただきたいと、心より願う所存である。
文責:水棲疾病基盤研究所