私はマレーシア機298名の犠牲に心から哀悼の意を捧げ、
真相を矛盾なく明らかにすることだけが死者に報いる方法であり、
再発を防止する道になると信じる者であります。

大変長くなる話なので、3部以上に分けて書きます。
暫し、お時間を頂戴できましたら幸いです。
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一般教養としての哲学で扱われる命題に、「兵士の命を奪ったもの」というものがある。
テキストを引っ張り出せれば申し分無かったのだが、何せ20数年前に履修しただけのものであり、手元にノートもプリントも無い。
うろ覚えで申し訳ないのだが、内容は以下のものとなる。
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「第一次世界大戦当時のこと、あまりにも多くの兵士が戦死し、軍医はそれら全ての死体を解剖した。
驚くべきことに、圧倒的多数の死因が銃火器によるものであった。
軍医は銃火器によって死亡した兵士の亡骸から、鉛の弾丸を摘出し、これこそが兵士の命を奪ったものであると断定した。
終戦後、軍医は熱心な銃火器規制論者となり、一生を銃火器への反対運動に捧げた。

-----------------------(ここまでが前提)-----------------------
Q1.兵士の命を奪ったものの本質は銃火器であったのか否か?
Q2.兵士は銃火器が無ければ死ななかったのか?」
この2つについて討論し、明確な回答を構築する、という授業だったと記憶している。
(現役の大学生でこの話を知らない方が居たら、是非一般教養科の哲学の先生に質問に行って戴きたいと願います。選択科目であれば履修されていないこともあるかと存じますが、どこの大学でもおそらく哲学系の先生は必ずいらっしゃいますので)

回答から申し上げると、Q1.2共に答えは「No」になる。

哲学に回答は無いものだが、この問いには明確な答えがあり、それは19歳の子供の頭を持った大人になりかけの人間が扱うべき問題だと先生は熱弁された。
当時怪訝な顔をする学生に、先生が仰ったことだけは生々しく覚えている。
「これは非常に有名な問題で、
日本のみならずおそらくヨーロッパ中の、否、全世界の学生がこの問題を解いている。
若い子であれば正解が出せる。しかし、年を取ると殆どの人が間違える。
だから、正解がわかる若い内に、何故それが正解であるのか、
自分自身の中で固く構築しておかなければならない。
あなた方が年を取り、重要なポジションに就いたとき、この問題を誤ると、
何もかもを破滅に導きかねない問題なのです!
殆どの問題は【ここ】に帰結します。
だから、今、あなた方の頭で正解が出せる内に、何故そうであるのかを考えてください!」

当時私がどう考えたかは不思議なぐらいに思い出せないのだが、哲学のY先生の鬼気迫る熱弁だけは不思議と昨日の出来事のように思い出せる。
そして、Y先生は-今現在、当時のお年から考えておそらく鬼籍の方であろうと思われるのだが、学生から年賀状が来ないことをいつも執念深く語っていたのだが、
-今、しみじみとY先生に御礼を申し上げたい、あれほど欲していらっしゃった年賀状を送りたい!!!
このことを逼迫した生々しい感覚として思い出します。
(この文章を御覧戴いた方の中で該当する「Y先生」がご存命・現役ならば失礼致しました!
可愛い動物の名前をしたY先生が今どちらで教鞭をとられているのかご教示いただけましたら幸いです。
今度こそ年賀状を送ります!)

この問題の前提である「第一次世界大戦」は、血と鉄の戦いとも呼ばれ、槍や剣、飛び道具は弓といった「騎士」と、近代兵器で武装した「軍隊」がまともに正面衝突を起こしたものとしても知られている。
また、銃火器規制についてはアメリカで長年論争の対象とされ、私達は銃器が市民の手にあることについての「不利益」も「利益」も双方知ることとなり、どちらが「正解」であるのか判断できるものではありません。
この2つの要素は、問題を「わからなくする」要素です。
兵士の死、という問題について、血と鉄だとか銃火器規制議論だとか、そういうこと(自身の属する陣営)を差し挟んで考えてはならないのです。
何故兵士がそこに居て死んだのか?
戦争をやっていたから、です。
武器が銃火器以外であれば死ななかったのか?
銃火器が無ければ剣で、槍で、棍棒その他鈍器及び弓等の飛び道具で、もしくは外の暴力的手段で兵士は殺されます。
兵士が死ぬにあたり銃火器という手段は選択肢の一つでしかなく、兵士は戦争に行けば何らかの手段で殺されるものです。
提供された武器の質やましてや誰が作ったものであるかということは、破壊の大小に関わる問題であり、「戦争に行った兵士の死」には関係が無いことです。
兵士は戦争に行ったから死んだのです。
兵士は戦争の主催者に殺された、ただそれだけのことなのです。
Y先生のお話は概ねこういった内容だった。
そして何度も、特にこの問題はヨーロッパの未来ある学生にとって特に重要であること、これは日本も無縁ではないこと、将来訳がわからない事態に直面したとき、混乱が酷い際には戻ってくる基盤として自分自身の中にこの回答を固く作り出せ、と幾度も仰った。
確か3~4週この問題に費やした記憶がある。
私は当時おそらく相当クソ生意気なひねくれた、今で言えば重箱の隅をほじくるような産経新聞の社説じみた論説を展開した筈なのだが、今はそんな自分をぶん殴り飛ばしてもいいとすら思っている。
否、むしろ、何故そんな私を教室から追い出さなかったのか?何故0点にして放逐してしまわなかったのか?
Y先生の驚異的な忍耐力に私はひたすら感嘆する。
今の私が先生の立場であれば今日を限りに「私」の履修は打ち切る旨学生課に通告し、単位をくれないどころか人間の資質として教授会で問題する「報復行為」に走るであろうことすら確信すらしているのだ。

何故Y先生があれほどの熱弁を振るったのか?
何をあれほど危惧し、何を教えようとしたのか?
2014年7月23日現在、私は痛いほど理解し、20年以上昔の出来事を生々しく思い出すにすら至っている。

Y先生の仰ったとおり、特にEU圏の人間にこの問題は重要だと痛感した。
そして日本人もこのことには無縁ではない。もう巻き込まれている。
「感情」や「属した陣営」としてこの問題を扱うと、全てが崩壊し、破滅する-これは本当のことだった。
おそらく、物事の後ろにはこの問題が「感情」として「理解できなくなる」ことを正しく理解した人間が居て-「理論」では勝てなくなるので、「感情」をかき乱すことで正気を奪っているのだろうと、
または、1の利益を得るために、100の損失を他人に押し付けることを正当化できる-何らかの宗教的な絶対の信念を持つ人間や飽くなき利益を追求する組織や国家、そういうものが問題の背後にあることを薄々全員が感付きながら、美しい「感情」や「陣営を守るのではなく利する」為に正気を逸してゆくのだろうと、私は理解させられた。
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ウクライナ問題、これは、私にとって、勃発以前から現在に至るまで内側の人間の話を聞き、報道は参考にとどめ、自分自身の立場を内側の人間寄りとして理解した問題です。
なので、これを読む皆様と私の立ち位置に大きな隔たりがあることは十分承知しています。
日本の報道は、片側の西側陣営代表であるアメリカ寄りの外電丸写しであり、そこに媚や優越感じみた感情が乗り、自分自身を安全な場所においた卑劣さが見え隠れするものです。
大多数が片側の陣営にたつ感情に走るのはいたしかたなく、それが日本であることも理解しています。
しかしながら、東側の意見、とまではいいませんが、せめてウクライナはキエフの普通の市民や、今現在キエフに抵抗を続ける東部地域の義勇兵について何をどれだけ報じたのでしょうか?
西側陣営の代表であるアメリカに対し、東側陣営の代表であるロシアが何に苦慮し、何を望んでいたか報道はあったのでしょうか?
少なくとも、私は「現地感覚」としての意見を反映したものは殆ど見たことがありませんでした。
(一回だけキエフ特派員が一定期間についてまとめたものを特集として毎日新聞で見ました。アメリカへの配慮はありましたが、だいぶ私の感覚に近いものでした)
「悪の帝国ロシアに挑むカッコいい正義のアメリカ!」などという馬鹿げた構図を未だ信じている人が多いとは思いませんが、出てきた東側の「事実」を受け容れず、西側の「推論」から離れられないのは、結局はその構図に収まり、それを支持し、安全地帯で高見の見物を決め込む行為に等しいのではないでしょうか?
※リンクは、本日現在最新の、ロシア国防省の公式発表です。

学生時代に聞いた言葉でもう一つ頭に刺さっているものに
「何もできないのなら、せめて批判(批評)はするな。傍観するなら見ていることだけを伝えろ」
と言われたことがあります。
哲学のY先生だったか、史学のT先生だったか忘れたのですが、大人になって「なんという名言だったろう」としばしば思い出す言葉でもあります。
痛みを伴わない批判(批評)は、ギリギリの立ち位置に居る人間の最後の砦を突き崩し、安全な立ち居地から命がけのあがきを嘲笑すらするものです。
(特に産経新聞の記事には侮蔑や嘲笑すら感じられる。このことについては私自身の被害妄想や僻みじみた感情があるのではないか?とことん自分自身を疑い、修正を行うことを試みていたのですが、先日、戴いたチケットでボリショイサーカスに行った時、極めて傲慢無礼、かつ軽薄な産経新聞の記者殿の会話を伺い、私の感覚が狂っていなかったことを確信し、生の産経新聞記者殿を拝見させていただいたこと、心から感謝した次第で御座います)
私は朝日は大嫌いなので比較的産経は読んでいたのですが、もう読む価値すらなくなってしまいました。
ウクライナ問題については毎日の特集記事が一番マシだったなどと、自分自身何を書いているのか頭で理解が出来ませんが、しかしこれは受け容れざるを得ない「事実」なのです。

Y先生の持たれていた危惧は、20数年後、現実の危惧として私に直面するものになりました。
何一つ間違えていなかったY先生、貴重な授業を受けさせて戴いたことに心から感謝し、生意気な態度を心底謝罪するものであります。

P.S
ウクライナ内務省さま。
本日閲覧していただき、誠にありがとうございました。
末端のヤポンスキ金魚店にいらっしゃるほど神経質になっている問題であることは理解致しました。
これより何部かに分けて、私どもの意見を述べさせていただきます。
またのご閲覧を、心より楽しみにお待ちしております。
この場を借りて老婆心ながら申し上げさせていただきますが、
ウクライナ内務省さま、
gmailはご使用にならないほうが宜しいかと存じます。
yandexメールはお嫌いかと思われますが、せめて自サーバーのメールアドレスを御利用になられたほうがキエフのセキュリティ上良いかと存じ上げます。


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