上方から下って江戸に入った金魚は痘瘡神に結びつくことによって、
生産~消費のサイクルを成立させることに成功した。

幾ら珍しく美しいものであっても、誰が欲するのか・どう求められるかが確立しないままでは、それはただの珍品のままであり、「産業」にはなり得ない。

また、多くの人の目に触れないままでは、「普及」もままならない。

江戸の吉原は今で言うところのいわゆる風俗街であるのだが、
最新の文化の展示場としての側面も持っていた。

参勤交代で江戸に出てきた地方の武士達などは、帰国の期限が近づくと、こぞって吉原に「見聞」に繰り出し、最新の髪型や着物の着こなし、流行の模様や小物類、江戸では何をしたら「粋」なのかなど、極力金をかけずに土産話だけを得ようとやっきになって、吉原の衆にはとても嫌われたという話が多く残されている。

江戸中期以降、
文化的に最も遅れていたあずまえびすの各地に忽然と現れた「地金魚」達、
(津軽錦や庄内金魚など)がどういった経緯で導入されたのかはいささか不明な点が多いのだが、
これらが武士の領域の趣味であったこと、比較的広いエリアに前触れ無くほぼ同時期に出現し始めることなどを考えると、それらの導入には参勤交代が関わっていたように感じる。

つづく。