江戸の町に最初に金魚がやってきた時、長い長い旅を終え、多くの仲間が斃死し、

死に残ったごく少ない品種も大きさも整わない個体だけが、江戸の人々が見ることが

許される金魚であった。

そうして死に残った哀れな小さい生き物を、

贅沢な装飾物として辰五郎風に消費することは、

江戸の人たちには出来かねたのではなかろうか、と推測する。

つづく。