昨日のブログで東洋文庫ミュージアムについて書きました。
今年の春に、「チベット展」を見に行きました。
日本に渡来した仏教資料が公開されるとのこと。とても楽しみにしていました。
8世紀の日本最古の印刷物である「百万塔蛇羅尼」や、現存する最古の梵字と漢字の対語辞典など、素晴らしい展示物がありました。
その中でもびっくりしたのがこちら。
河口慧海さんがチベットより持ち帰った経典です!
↑17~18世紀ごろの法華経の経典。チベットで贈与されたものです。
河口慧海さんは仏教本来の教えを学ぶために、19世紀終わりにお釈迦様が悟りを開いた時の教えがそのまま残るとされているチベットへ仏教を学びに行った方です。
初めてチベットの地を踏んだ日本人です。
その時のチベットは鎖国。
国交のあった中国を除き、海外からの人は一切入れない状態でした。
インド、ネパールで仏教を学び、チベット語を習得してからチベットに入った河口慧海さん。
4000m越えの険しい峠を越えてのチベット入域でした。
チベットの首都、ラサで信頼を得て仏教を学び、経典を頂いて日本に帰ってくることになります。
途中まで、中国人と称し、チベット語をマスターしてからはチベット人として生活をしていた河口慧海さん。
いつ、日本人だと発覚するかを恐れる気持ちも強かったようです。
日本に帰国してからも、再び、チベットを目指します。
今度も重要な経典を、また、民族的な資料も持ち帰ります。
自身の冒険紀行を書き記した「チベット冒険記」にチベットに行った時の様子が描かれています。
さながらスパイ映画の様!
あまりに想像をかけ離れた話だったので、フィクションだろうとずいぶん疑われたようです。
帰国した後も、仏教やチベットについての研究を続けるために、僧籍を退き、在家のお坊さんとなりました。
河口さんが命がけで持って帰った経典が見られたことを本当に幸せに思いました。
↑河口慧海さんの像。チベット僧の格好をしています。
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