今日11月19日は国際男性デーだそうです。国際男性デー(Wikipedia)。このような日はかつてはなく、国際女性デーのみがありました。日本ではまだまだ広まっていないこの日ですが、他国では広まりを見せています。

国際女性デーは、女性の差別問題を考えるべくして作られた日です。

1999年にこの日が制定されたということは、男性に対する差別が人道主義に反し始めたからでしょう。

しかしながら、日本において男性に対する差別というのはどのくらい認知されているのでしょうか。自分は社会的にないものとしているか完全に黙殺されていると思っています。そして、いつのまにかかなり重大なレベルになっていると思っています。

なにより問題なのは「差別とは何か」という話が社会における重大なトピックにならないままに、差別という言葉ばかりが一人歩きしていると思うのです。

なので、いい機会なので、差別とは何か、ということを書いてみたいとおもいます。というのも、男性差別というトピックから始めはしましたが、差別全般についての認識を深めることは他にもある各種の差別に対してより深い理解ができるはずだからです。

容姿差別論というブログ記事によると、変えることが無理、または困難な属性を根拠にしてなんらかの利益、不利益が生じる判断を行うことと読み取ることができます。

差別という言葉自体があまりいいイメージを持たれなくなってきていますが、差別によって特に誰も不利益を被らない場合は特に問題はなく、誰かが利益を得ていてその分の不利益を誰かに被らせているような場合は問題になるでしょう。

次に、差別をしている人は、自分たちがなにかしらの正当な論拠に基づいてその判断をしていると思っており、それは差別ではない、と思っていることが問題です。ですが、いかなる論理であれ、それが差別であるのなら、思い込み、伝聞、飛躍、といった要素がなにかしら含まれています。

例えば、男性は痴漢をする可能性があるのだから女性専用車両を置くことは正当である、これは女性の安全を守るためである

というような論理ですが、例えば男性は痴漢をする可能性がある、というのは乱暴な飛躍です。痴漢をするかどうかは男性であるかどうかではなく、あくまでもストレスの問題として考えることでかなりの割合に対応できます(「男が痴漢になる理由」なぜ女性も知っておくべきなのか。満員電車でくり返される性暴力)。

そして、セクシャルマイノリティーとしての痴漢については、投薬やカウンセリングと言ったもので対応すべきであり、単に痴漢犯罪けしからんで終わらせていいものではないのです。

ですが現実はそういう男性(ストレスだろうとセクシャルマイノリティーだろうと)本人のモラルや理性の問題と切り捨てて終わりにしている。なぜ社会として対策を真剣に考えないのか、ここに無意識の差別感情があると思いますし、全く理解をしようとしないが故に「男性は痴漢の可能性がある」から議論が開始されてしまうのだろうと思います。

女性、老人、子供、動物、そしてLGBTに代表される一部のセクシャルマイノリティーに対する差別や差別によって生じる問題は真剣に考えられる一方で、明らかな差別を受けているにもかかわらず、そんな差別はない、差別をされているという訴えをすること自体がおかしい、弱い人々を守るためにやっているのだから正当なことであり差別ではない、差別をされるのはされるなりの理由があるからでそんなお前が悪い、などとされる人々も間違いなくいます。

今一度差別とはなにか、差別は必ずしも社会的弱者とされている人々のみが受けるものでも、ましてや既得権益として不条理を振りかざすための武器ではないのですから。