さらに加速しているMe Too運動、賛成、反対、反発、さまざまな反応をはらみながら進んでいるようですが、この運動が明らかにしつつあるものもいくつかあると感じています。

まず、女性に対するセクハラや性犯罪といったものが、これまであると認識されていたけど、日陰のものであったのが日なたに出て来た、というもの、これはこの運動の直接的な効果だと思います。あらためて自分のやってきたことを見返して、袂を正すのが良いでしょう。

次に明らかになっているのは、Me Tooに乗り切れない人、経験が悲惨すぎて思い出すこともできない人、男性などの同様の被害にあっているが、相談しても非難しかされてこなかった層があるようだという点で、Me Tooをはたから見ている層の中にこういう人が一定数いるようだ、という点。

最後に、どういうわけかやたらに足を引っ張る層、そもそもセクハラなどという女が気に食わないという男尊女卑志向の人、もしかすると自身の経験があまりにも重いので怨念が吹き出してしまう人、自分の直面する困難をこうやってカミングアウトするムーブメントが起こらないことに不満を募らせている層、単に面白半分にやっている層、そんな彼らに共感してしまっておかしい方向の正義に目覚めた人、などなどだと思います。

はぁちゅう女子がMe Tooに参加して日本では火がついたように見えますが、その後、彼女が童貞をネタにして色々やったことがあり、それについて問われたところあまり良い応答をしなかったあたりからなんだかこじれてるように見えています。ここに見えることは、自分は被害者にも加害者にもなれる点、そして、加害者としての自分は「何もおかしいことしてない」と確信してしまっている点です。

社会として童貞は恥ずかしいこと、という認識があるにもかかわらず、ネタにしてしまう、というのは、分類でいうとホモオダホモオに混ぜられる気がします。ですが、Me Tooが活発になった時にこのネタを出してきて「お前もこんなことやってたろ、同類だろ、Me Tooとか言う資格あるの?」と言う反応は違うと思います。

とはいえ、童貞というキーワードは、特に若い男性にとっては大変センシティブなキーワードなので、不特定多数に向けるネタとしては結構不適切だと思います。ただ、それに対して「ソープ行けば良いだろ」と擁護した男性は、そもそも差別の本質がわかっていないのではと悲しくなりますし、童貞であることの悩みを掘り下げる気もないのだなと思います。

いずれにせよ、Me Tooによって、女性が直面して、苦しんでいる問題にいかに社会が無関心だったか、ということに合わせて、このほかにも深刻な差別というものが存在していて、それは存在すら認識されていない、ということが明らかになって行くのではないでしょうか。もしも人々が差別について真剣に考えるように進めば、ですが。

一方でやな終わり方は、「女性はセクハラだレイプだと被害にあったことを騒ぐわりには男性に対してセンシティブなネタを無神経にばらまいてはそれについてなんとも思わないんですね」と単に男女間の対立を深刻にしてしまう、というものです。

いずれにしても、こういう運動の足を引っ張るだけの人には是非退場していただくか、そこまで足を引っ張られずにはいられない自身のトラウマに目を向けてみるのが良いと思います。