中学・高校と柔道をやっていた。
弱かった。
初段(黒帯)は持っている。
初段=講道館入門で、その先からは正に「段違い」。全く手が届かなかった。
なぜ弱かったのか?
才能以前の問題として、まじめに練習しなかったからだ。
柔道は畳で耳が擦れて、耳たぶが腫れる。そのまま腫れた状態が続くと耳がクシャクシャに縮み、カリフラワーみたいになる。
私の耳はダンボ系なので特に腫れやすかった。
強い学校ではこれに憧れてワザと耳を擦って腫らす猛者もいたらしい。
大学でも柔道を続けた我が校の主将は、時々病院で耳の血を抜いてクシャクシャになるのを予防していたとか。
それから20代のある時期まで、柔道をやっている夢を頻繁に見ていた。
夢の中では中学と高校の友人がごちゃ混ぜになっていた。
練習そのものを熱心にやる、という充実した夢よりも、練習に行こうとしている、今やろうとしている、という夢が多かった。
完全燃焼出来なかった悔いが、夢の形で現れたのだろう。
たまの曲『学校にまにあわない』を聴いた時、そうそう!と思った。
学校に遅刻する夢は、いまも見る。
起きたらもう間に合わない時刻、それでも学校に行くか、諦めて街でもぶらつこうか、だらだら迷っている。
これが高校の夢。
大学時代だと、もう何日も学校に行ってない。研究発表の日は迫っている。
久しぶりに研究室に行くと、すでに自分の存在感すら薄れている。
充実していなかったから、後々までこんな夢を見る。
「たま」の楽曲はメンバーそれぞれが作詞作曲した曲の集合体。
『学校にまにあわない』は石川君の曲。正体不明の幻影が長々と続き、最後に
「学校にまにあわないんだよォ~」
で終わる。
私にとっては、正に悪夢を歌った曲。
▷▷▷▷▷
札幌から戻って以来、風邪で体調を崩していた。眠くて仕方がなかった。
折しも業界では各種総会、協議会ラッシュ。
身体だけ出席して、居眠りばかりしていた。
タベから10時間爆睡して、やっと体調が回復した。
そして見た夢。
もうじき受験、でも学校はしばらく行ってない。教科書の内容はさっぱりわからない。
やる気が出ない、だから頑張るのは後回しにしてきた。
気がつくと、何もかも間に合わない…
このブログを読んでいる学生さんがいるかどうかは分からないが、充実した日々を送らないと、後々こんな悪夢にうなされることになるのだよ。
もっとも、遅刻してでも学校は行ける。
「間に合わない」は気力が欠けてる言い訳さ。
石川君の曲なみに長い記事になってしまった…
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♪旅ゆけば~ぁぁ
駿河の道にぃ
茶の香り~ぃぃ♪
昭和──
映画やTV、漫画に描かれる銭湯といえば
頭に手拭いを乗せ、ご機嫌で浪曲を唸っているオジサンが定番だった。
私は一時期(20代後半)浪曲にハマっていた。
いろんな演目を聴いてみたが、
二代目広沢虎造の清水次郎長伝。
これは絶品である。
同じ虎造で「国定忠治」も聴いたが、これは因縁話が重くて、後味が悪い。
次郎長伝は、時として悲惨な話を語りながら、何故かカラッとしている。
富士山と太平洋。そして美味しいお茶を啜っていたら、こんな明るさになるのだろうか。
タイトルの台詞「礼は言わねえ」は、次郎長伝の内『お民の度胸』
石松が都鳥一家の騙し討ちに合う。
血だらけで兄弟分の七五郎の家に逃げ込む。
石松を追って都鳥一家が現れ、絶体絶命となる。
その危機を七五郎の女房、お民が度胸と機転で切り抜ける。
押入から転がり出た石松は出血で息も絶え絶え。
お民を拝んで礼をいう。
そして七五郎に向かって一言
「七五郎、オメエには礼を言わねえ!」
ここに次郎長伝らしい面白さがある。
「オメエと俺は兄弟分。俺がオメエでも命がけで守った。だから礼を言わねえ」
石松といえば『三十石船』の
「寿司食いねえ」が有名。
その前段。
石松は次郎長から金比羅代参を申し付けられる。
但し、間違いをおかさないよう、道中は決して酒を飲むな。
「一滴たりとも?…だったらそのお使い、御免被りましょう」
「なに!親分の言い付けが聞けねえのか!」
と次郎長が刀に手を掛ける。
「おっ、嬉しいねぇ。惚れに惚れた親分に、斬ってもらえば本望だ」
次郎長、刀の柄に手を掛けたまま、うむむむっと困っている。
大政・小政が襖の陰でこの様子を見て笑っている。
大政「まあまあ親分、こんなもん斬ったってしょうがねえや。ちょっとお待ちなさい。」
と石松を脇に連れて行き、
「どうせ旅に出たら分かんねえんだ、嘘をついちまえ」と入れ知恵する。
石松、親分の許に戻って正座して
「分かりやした。酒は一滴も飲みやせん…でも 旅に出たらどうせ分からねえ」
史実においても、清水次郎長には浪曲の世界を彷彿とさせるエピソードがある。
山岡鉄舟と親交があったのは有名な話。鉄舟は次郎長を「度胸一番」と称賛した。
ある日、鉄舟が次郎長に尋ねた。
「お前さんのために、命を捨てるってえ子分は何人位いるんだい?」
「あっしなんかのために、命を捨てる子分なんておりやせん。
ただ、あっしは子分のために命を捨てる覚悟でおりやす」
次郎長は海軍士官とも交流があった(その中には、旅順封鎖で有名な広瀬中佐もいた)
ある日、士官達は次郎長を軍艦に招待した。
巨大な艦の最新装備を見物し、次郎長が言った。
「お前さん達、こんな立派なものを預けられたら、義理でも死ななきゃならないねえ」
次郎長は毎晩、夜討ちを受けた時の用心に、草鞋を履き、剥き身のドスを持ったままで寝た。
そのドスで、腹は傷だらけだったという。
女房とは2度死別した。
だが駆け出しの頃に苦労を掛けた妻、お長(浪曲ではお蝶)への義理を忘れないため、2人目、3人目の妻も、お長と呼んだ。
次郎長伝の人物、そして史実の次郎長、いずれもそのエピソードには、学問で培った知性や教養はない。
だが、経験で培った力強い感受性…学問では身につかない「野趣」がある。
さて、私にとって「礼は言わねえ」という間柄といえば、やはり妻となるだろう。
義父は毎日少しずつ痩せこけ、黄疸の度合いも増している。しかし人並外れた体力があり、命脈を保っている。
昨日、もう戻ることのないホームの父の部屋を片付け、妻を残して夜中に関東に戻ってきた。
次に札幌に行くのは、葬式の時になるだろう。
親の死に際して、夫婦はお互い、逆の立場でも同じことをする。
だから次郎長の流儀でいけば「ありがとう」は言わなくてもいいのである。
言ってもいいけど。
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駿河の道にぃ
茶の香り~ぃぃ♪
昭和──
映画やTV、漫画に描かれる銭湯といえば
頭に手拭いを乗せ、ご機嫌で浪曲を唸っているオジサンが定番だった。
私は一時期(20代後半)浪曲にハマっていた。
いろんな演目を聴いてみたが、
二代目広沢虎造の清水次郎長伝。
これは絶品である。
同じ虎造で「国定忠治」も聴いたが、これは因縁話が重くて、後味が悪い。
次郎長伝は、時として悲惨な話を語りながら、何故かカラッとしている。
富士山と太平洋。そして美味しいお茶を啜っていたら、こんな明るさになるのだろうか。
タイトルの台詞「礼は言わねえ」は、次郎長伝の内『お民の度胸』
石松が都鳥一家の騙し討ちに合う。
血だらけで兄弟分の七五郎の家に逃げ込む。
石松を追って都鳥一家が現れ、絶体絶命となる。
その危機を七五郎の女房、お民が度胸と機転で切り抜ける。
押入から転がり出た石松は出血で息も絶え絶え。
お民を拝んで礼をいう。
そして七五郎に向かって一言
「七五郎、オメエには礼を言わねえ!」
ここに次郎長伝らしい面白さがある。
「オメエと俺は兄弟分。俺がオメエでも命がけで守った。だから礼を言わねえ」
石松といえば『三十石船』の
「寿司食いねえ」が有名。
その前段。
石松は次郎長から金比羅代参を申し付けられる。
但し、間違いをおかさないよう、道中は決して酒を飲むな。
「一滴たりとも?…だったらそのお使い、御免被りましょう」
「なに!親分の言い付けが聞けねえのか!」
と次郎長が刀に手を掛ける。
「おっ、嬉しいねぇ。惚れに惚れた親分に、斬ってもらえば本望だ」
次郎長、刀の柄に手を掛けたまま、うむむむっと困っている。
大政・小政が襖の陰でこの様子を見て笑っている。
大政「まあまあ親分、こんなもん斬ったってしょうがねえや。ちょっとお待ちなさい。」
と石松を脇に連れて行き、
「どうせ旅に出たら分かんねえんだ、嘘をついちまえ」と入れ知恵する。
石松、親分の許に戻って正座して
「分かりやした。酒は一滴も飲みやせん…でも 旅に出たらどうせ分からねえ」
史実においても、清水次郎長には浪曲の世界を彷彿とさせるエピソードがある。
山岡鉄舟と親交があったのは有名な話。鉄舟は次郎長を「度胸一番」と称賛した。
ある日、鉄舟が次郎長に尋ねた。
「お前さんのために、命を捨てるってえ子分は何人位いるんだい?」
「あっしなんかのために、命を捨てる子分なんておりやせん。
ただ、あっしは子分のために命を捨てる覚悟でおりやす」
次郎長は海軍士官とも交流があった(その中には、旅順封鎖で有名な広瀬中佐もいた)
ある日、士官達は次郎長を軍艦に招待した。
巨大な艦の最新装備を見物し、次郎長が言った。
「お前さん達、こんな立派なものを預けられたら、義理でも死ななきゃならないねえ」
次郎長は毎晩、夜討ちを受けた時の用心に、草鞋を履き、剥き身のドスを持ったままで寝た。
そのドスで、腹は傷だらけだったという。
女房とは2度死別した。
だが駆け出しの頃に苦労を掛けた妻、お長(浪曲ではお蝶)への義理を忘れないため、2人目、3人目の妻も、お長と呼んだ。
次郎長伝の人物、そして史実の次郎長、いずれもそのエピソードには、学問で培った知性や教養はない。
だが、経験で培った力強い感受性…学問では身につかない「野趣」がある。
さて、私にとって「礼は言わねえ」という間柄といえば、やはり妻となるだろう。
義父は毎日少しずつ痩せこけ、黄疸の度合いも増している。しかし人並外れた体力があり、命脈を保っている。
昨日、もう戻ることのないホームの父の部屋を片付け、妻を残して夜中に関東に戻ってきた。
次に札幌に行くのは、葬式の時になるだろう。
親の死に際して、夫婦はお互い、逆の立場でも同じことをする。
だから次郎長の流儀でいけば「ありがとう」は言わなくてもいいのである。
言ってもいいけど。
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♪恋は短い 夢のようなものだけど
女ごころは 夢を見るのが好きなの
夢の口づけ 夢の涙
喜びも悲しみも
みんな夢の中♪
1969年の曲「みんな夢の中」
おおたか清流さんが1990年にカバーしている。
清流さんの楽器のようにしなる声で歌われると、男女の恋の歌には聞こえない。
人生の歌である。
(そう思いたくて勝手に解釈している)
はかない思い。抱きしめたくなる人生。
でも、みんな夢の中──
「荘子の夢」
荘子が蝶になる夢を見た。
そして、自分が蝶の夢を見た人間なのか、人間の夢を見ている蝶なのか、分からなくなった。
「邯鄲(かんたん)の夢」
ある若者がうたた寝する
…幸運をつかんで出世し、挫折し、再起して人位の頂点に登り、惜しまれながら死ぬ…
というところで目が覚める。
それは、粟も煮立たないほどの僅かな時間に見た夢だった。
▷▷▷▷▷
義父は症状を持ち直していた。
日毎に小さくなっていく身体。
でもその分、身軽になっているのかも知れない。
盛んに腕を振る。
開いたロから微かな呻きが聞こえる。
表情は苦しげに歪んでいる。
でも、よく見ると…
「笑ってるよね?」
「きっと歌ってるんだよ」
歌声運動の初期に青春を送った人である。
きっと「カチューシャ」とか「トロイカ」なんかを歌っているのだろう。
時々、片腕を高く差し上げる。
「これ、シュプレヒコールだぜ」
労働運動に夢中になった人である。
とにかくメーデーが大好きだった。
「そういえば、ちょうどそんな季節だねえ」
叔母がしんみりと言う。
「耳元で『インターナショナル』でも歌ってやろうか」
「『がんばろう』は、たまに家でも歌っていたね」
私は歌声世代ではない。
「皆で心を一つに歌いましょう」
…に、漠然とした違和感を覚える。
学生の頃一度だけ、先輩に連れられて歌声酒場「どん底」に行った。
私より少し年配の人達が連れ立って、あるいは一人で来店している。
マスターがアコーディオンを演奏し、奥さんがMCを務める。
皆、顔を紅潮させて歌っている。
合間に、一人ずつ客が指名され、アコーディオンの脇に立って歌う。
指名が回ってきた──
何かそれっぽい曲、と考えて野坂昭如の「黒の舟唄」を歌った。
引きつった顔で歌い終わると、
「やっと歌って下さいましたね」と奥さんがニッコリした。
今、義父は夢の中で楽しそうに歌っている。
それを私たち夫婦と叔母夫婦、四人がそれぞれに複雑な思いで見下ろしている。
私は分からなくなってきた…
自分が、
モウロウとして歌っている老人を見舞っている人間なのか
見舞っている人間の夢を見ているモウロウとした老人なのか…
どっちでもいいような気もしてきた。
愛しさも厭わしさも、幸運も不運も、そしてそれが儚い幻影であっても…
喜びも悲しみも
愛着も、それゆえの嫌悪も
快楽も苦渋も高揚も倦怠も
漠然とした不安も…
みんな夢の中───
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女ごころは 夢を見るのが好きなの
夢の口づけ 夢の涙
喜びも悲しみも
みんな夢の中♪
1969年の曲「みんな夢の中」
おおたか清流さんが1990年にカバーしている。
清流さんの楽器のようにしなる声で歌われると、男女の恋の歌には聞こえない。
人生の歌である。
(そう思いたくて勝手に解釈している)
はかない思い。抱きしめたくなる人生。
でも、みんな夢の中──
「荘子の夢」
荘子が蝶になる夢を見た。
そして、自分が蝶の夢を見た人間なのか、人間の夢を見ている蝶なのか、分からなくなった。
「邯鄲(かんたん)の夢」
ある若者がうたた寝する
…幸運をつかんで出世し、挫折し、再起して人位の頂点に登り、惜しまれながら死ぬ…
というところで目が覚める。
それは、粟も煮立たないほどの僅かな時間に見た夢だった。
▷▷▷▷▷
義父は症状を持ち直していた。
日毎に小さくなっていく身体。
でもその分、身軽になっているのかも知れない。
盛んに腕を振る。
開いたロから微かな呻きが聞こえる。
表情は苦しげに歪んでいる。
でも、よく見ると…
「笑ってるよね?」
「きっと歌ってるんだよ」
歌声運動の初期に青春を送った人である。
きっと「カチューシャ」とか「トロイカ」なんかを歌っているのだろう。
時々、片腕を高く差し上げる。
「これ、シュプレヒコールだぜ」
労働運動に夢中になった人である。
とにかくメーデーが大好きだった。
「そういえば、ちょうどそんな季節だねえ」
叔母がしんみりと言う。
「耳元で『インターナショナル』でも歌ってやろうか」
「『がんばろう』は、たまに家でも歌っていたね」
私は歌声世代ではない。
「皆で心を一つに歌いましょう」
…に、漠然とした違和感を覚える。
学生の頃一度だけ、先輩に連れられて歌声酒場「どん底」に行った。
私より少し年配の人達が連れ立って、あるいは一人で来店している。
マスターがアコーディオンを演奏し、奥さんがMCを務める。
皆、顔を紅潮させて歌っている。
合間に、一人ずつ客が指名され、アコーディオンの脇に立って歌う。
指名が回ってきた──
何かそれっぽい曲、と考えて野坂昭如の「黒の舟唄」を歌った。
引きつった顔で歌い終わると、
「やっと歌って下さいましたね」と奥さんがニッコリした。
今、義父は夢の中で楽しそうに歌っている。
それを私たち夫婦と叔母夫婦、四人がそれぞれに複雑な思いで見下ろしている。
私は分からなくなってきた…
自分が、
モウロウとして歌っている老人を見舞っている人間なのか
見舞っている人間の夢を見ているモウロウとした老人なのか…
どっちでもいいような気もしてきた。
愛しさも厭わしさも、幸運も不運も、そしてそれが儚い幻影であっても…
喜びも悲しみも
愛着も、それゆえの嫌悪も
快楽も苦渋も高揚も倦怠も
漠然とした不安も…
みんな夢の中───
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