その毛はすべて言葉なり | 空はどこから/猫の長靴

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

『指に触るる その毛はすべて言葉なり
 さびしき犬よ かなしき夕べよ』

若山牧水の歌である。

いいね。
実にいい。

言葉は音として耳で感じる。
あるいは言葉を発する時の姿を目で感じる。

牧水さんは指で「言葉」を感じた。
それも愛犬の毛のすべてに。


私はこの歌の「犬」を「猫」に置き換える。




愛猫‘ふぁい’の背に触れていた時、私は何を「聴いて」いたのか。

膝にかかるしっとりとした重み。
温もり、というより熱さ。

背筋に沿って3本の指で撫で下ろす。
拳を軽く握り、小さな円を描くように撫で回す。
いずれも、聞きかじりの猫マッサージ法。



ブラシで毛をこすり、取れた毛で猫玉を作った。
これで糸を作れないか?
と妻に提案したが、
毛が短くて無理、と断られた。

猫玉は今も所在なげに仏壇の中に転がっている。



死期の迫った頃、苦しげに上下する身体を撫でながら、気功の達人のように手から気が発しないかと願っていた。
気の有りったけを込めてふぁいを撫でた。

でも、それは私の側で発した「言葉」


あの時、ふぁいは、どんな言葉を発していたのだろう。

私はふぁいの言葉を聴きたかった。


「さびしき猫よ かなしき夕べよ」


牧水さんは、愛犬の背中から、どんな言葉を聴いていたのだろう








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