鐘の鳴る丘/チンピラ別働隊 | 空はどこから/猫の長靴

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日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

♪緑の丘の赤い屋根
 トンガリ帽子の時計台
 鐘が鳴りますキンコンカン♪
 …
♪鳴る鳴る鐘は父、母の
 元気でいろよと言う声よ
 口笛吹いて、おいらは元気♪
 …
♪お休みなさい空の星
 お休みなさい仲間たち
 鐘が鳴りますキンコンカン
 昨日にまさる今日よりも
 明日はもっと幸せに
 みんな仲良くお休みなさい♪ 

昭和22年から放送されたNHKラジオ番組『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」

もちろん、私はまだ生まれていない。




映画も3部、制作された。
高校生の頃、TVで観た。




戦災孤児たちのために、安住の地を見つけようと奮闘する青年の物語。

親を失い、悲惨な境遇に喘ぐ浮浪児たちが
「いい子になるんだ!」
と頑張る姿が痛々しい。

でも、「いい子」って……何だ!?

私の時代では、いい子とは、
大人にとって「都合のいい子」。
教育と称して「規格品」の子供を作ろうとする時代だった。
全国の中学校でバカバカしいほど、ガンジガラメの校則が作られ、社会問題として取り上げられていた。

当時見たドキュメンタリー。
不良少年たちの母親が学校に呼び出される。
親たちは教師にペコペコと頭を下げる。
それを見て、不良少年たちは泣いて怒る。
「悪いのは俺たちで、親じゃない!親を謝らせるな!」
親子の情愛がしっかり残っている時代だった。


『鐘の鳴る丘』の子どもたちにとって、「いい子」とは、かっぱらいなどの犯罪を犯さない子。

戦後のドサクサ。社会に余裕のない時代。
保護者のいない戦災孤児は日陰の存在。
犯罪に手を染めないで生きていくこと自体、困難な時代だった。


《余談だが、映画のラストシーン。
クリスマスに子どもたちが和解する。
「クリスマスおめでとうございます」と言ってお互いに頭を下げていた。
まだ「メリークリスマス」が日本に定着していなかったんだね。》


さて、このラジオ番組を熱心に聴いていた青年がいた。
この主人公に続こうと、子どもたちと夢の実現に奮闘する。

この青年は、ラジオの内容が実話だと信じ込んでいた。

主人公に教えを乞おうとNHKを訪ね、フィクションであることを知って落胆する。

だがドラマの作者、菊田一夫に励まされ、ついに夢を叶え、群馬県に施設を立てた。
虚構が現実をリードしたのである。


ドキュメンタリーで、その施設が映し出された。
食堂に並んだ子どもたちが、みんなで「鐘の鳴る丘」の主題歌を歌っていた。

これはいただけない、と思った。
この歌は、自ら口ずさむべき歌であって、歌わされるべきではない。


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戦後、子どもたちの夢を掻き立てた小説、『少年探偵団シリーズ』

ある人がエッセイに書いていた──

少年探偵団に憧れ、自分も入団したいと夢見ていた。
だが、「チンピラ別働隊」の存在を知って愕然とした。

少年探偵団は良家の子弟の集まり。
夜の活動や危険な仕事は、浮浪児(戦災孤児)を組織した「チンピラ別働隊」が請け負う。

自分のような親のない子は少年探偵団には入れてもらえないのだ──


実際、少年探偵団(富裕層の子)は訓練と称して肝試し大会なんかをやっている。

浮浪児たちは小林少年から「君たちもマジメに生きなきゃダメだ」などと説教されて別働隊になる。


学生の頃、チンピラ別働隊が颯爽と活躍するシーンがないかと数冊読んでみたが、やはり日陰者的な扱いであった。





この時代、そんな小説…不遇な少年たちが差別される話…が違和感なく受け入れられていた。

何という、弱者に対して同情心のない世相だったのか。



今の日本なら、こんな差別は当然非難される。

しかし、今度は世の中が複雑に成り過ぎた。
正義のあり方を取り違えて、逆差別や悪平等が起きたりしている。

だが、社会が差別に対して敏感になり、話し合う環境さえあれば、世の中が良くなる可能性は充分にあるはずだ。


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義父はバリバリの軍国青年だった。
あと一年、戦争が続いていれば、勇んで戦地に赴き、特攻して戦死していたかも知れない。

そして、戦後はバリバリの労働組合の戦士になった。

方向性が変わっただけで、「正義」に対する単純さは変わらない。

そして組合活動に夢中のあまり、家庭を顧みなかった。
子供達は「母子家庭のようだった」と言う。


国鉄や国有林を経営破綻に追い込んだ労組の活動をどう評価しているのか、訊いてみたかったが、不仲になってまで話そうとは思わないので止めにした。


だが、ひとつ、私が思う義父の美徳がある。
それは「自慢話をしない」ということ。

年配者の中には、自分がどんだけエラかったか、人望があったかを得々と話す人がいる。

しかし、義父にはそういうところが全くなかった。


婚約して、私の両親が挨拶に行った時、
「川柳教室の取材で写真が載りましてね」
と、嬉々として新聞を持ち出した。

それは、ひときわ大きな身体で最前列に座り、熱心に授業を受ける、「生徒」としての父の姿だった。

稚気の人…私は、やはりそう思う。


もし戦後の荒廃期、東京で浮浪児たちの姿に接していたら…

あの青年のように、ラジオ番組を事実と信じ込み、子どもたちに安住の地を作ろうと奮闘していたかも知れない…

…褒め過ぎかな?

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今夜が山場かも知れないと看護士さんに言われ、部屋で待機している。
義父の容態はどうやら持ち直しているようだ。

もう寝なくては──







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