妻には喘息の持病がある。
子猫を8匹拾った当初、夕方家に帰ると妻がぽつねんと外に立っていた。
「息が出来ない」
と言うのだ。
実は猫喘息だと聞かされた。
子供の頃、猫を拾ってきては喘息を理由に父親に捨てられた、ということを経験していた。
「子猫のうちは毛が細いけど、成猫になれば大丈夫だから」と言う。
私たち夫婦は、猫好きという点では迷いがなかった。
しかもこの猫たちは選り好みして入手したものではない。
天の配剤で私たちが授かったものだ。
妻は発作でよく救急診療に駆け込んだ。
妻が点滴を受けている間、私はそばに座って長編小説を読んでいた。
まるで、この状況も私たち夫婦にとって織込み済み、という風だった。
さすがにー回だけ
「捨てようか?」と言ったことがある。
妻は返事をしなかった。
そしてー回だけ
「あたしよりも猫が大事なんでしょ!」と言われた。
今度は私が返事をしなかった。
その生活は、北海道から関西時代の5年間ほど続き、やがて薬が劇的に良くなったとかで、発作の症状は出なくなった。
私にとって‘ふぁい・みる’は、かけがいのない存在であった。しかし命がけではなかった。
妻にとってはどうか?
和歌山から京都に引っ越す時、妻は猫が飼える物件を探して京都に通いつめた。
築40年の古い二軒長屋を見つけた後、一週間寝込んでいた。
しかし‘ふぁい・みる’をいらないとは、ついに一度も言わなかった。
猫を飼うことで、妻は寿命を縮めたのかも知れない。
もし寿命を縮めたとしても、妻には悔いがないと思う。
しかし、妻が本当に寿命を縮めたのだとしたら…私には一抹の後悔が…残るのかも知れない。
妻が描いた‘ふぁい’の日本画。
この子はよく、こんな見返りポーズをとっていた。
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