享年25歳、人間で言えば100歳近くなので大往生かと。
いつか北海道へ行って生テイオーに会いたい、
ずっとそう願っていたんですけどねぇ。
1991年第58回ダービーのパドックを
踊る様な足取りで歩く一頭の馬がいた。
画面一杯に写るその姿に私の目は釘付けになった。
私は一目で恋に落ちたのだ・・
この瞬間から私は彼の姿を追い続けたのだった。
ダービーの後故障が判明して秋を棒に振り、一年近く休養。
翌年、GⅡ産経大阪杯を勝ち、春の天皇賞へ。
一番人気に押されるも5着。
秋の天皇賞で挽回しようとしたがまさかの7着・・
また故障を発症して一年休養。
もうテイオーは終わった、そう誰もが思ったが、
翌年1992年第12回ジャパンカップを快勝する。
父シンボリルドルフに続く父子制覇だった。
その年の有馬記念、一番人気に押されるも
まさかの11着に沈んでしまう。
馬群の中であえぐ彼の姿が見ていて辛かった。
また故障を発症して一年休養。
翌年1993年の有馬記念に彼は出走する。
ビワハヤヒデとのゴール前の激しい叩き合いを制して
彼は一年ぶりの勝利を勝ち取る。
テイオーの競争馬としての馬生は故障との戦いでもあった。
種牡馬になってたくさんの子供を送り出したけど、
結局大きな成績を上げる子は出せなかった。
悲しいなぁ・・
テイオーはもうこの世にいないのだ。
会いたかった・・
彼は記憶に残る名馬。
その存在は永遠に残っていくのだろうな。
その冥福を祈ります、合掌・・