Fagiale ~僕らの街には夢がある~ -3ページ目

堤 喬也の想い

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「俺たちの夢!」にサインをもらいに、堤 喬也(以下コーチ)がいる美作へ行ってきました。

今日おこなわれた試合は、全日本女子選手権のジェフ戦。

今年から、BelleのGKコーチを務めている堤喬也コーチは、今日もチームを支えていました。

現在Belleは、正GKの福元選手が怪我の為、サブであった細川選手がゴールを守っています。

試合前やハーフタイムなどにも、常に細川選手に声をかける堤喬也コーチの姿がありました。

きっと、V長崎やファジアーノ岡山でサブの選手として過ごした時期があったからこそ、かけられる言葉があるのかなと思いました。

試合中、試合に出ることはできないけどベンチにいる福元選手の姿がありました。その直ぐ隣には、堤喬也コーチがいて、声をかけている姿がありました。

福元選手は、アキレス腱を切る大ケガにも関わらず、裏方としてチームを支えていました。ハーフタイムには細川選手に声をかけ、PK戦に入った時もベンチの選手たちが祈っている姿を見ると「細川は止める。大丈夫。」と声をかけていたように感じました。

何か、何か、良い関係だなと思いました。


試合は、延長戦でも決着がつかずにPK戦に突入しました。相手選手のキックに、なかなか反応できなかった細川選手。
会場からは溜め息がもれる中、視線をかえる事なく見つめている堤喬也コーチの姿がありました。

そして、最後の最後で、榎選手はゴールを守り、Belleを勝利に導きしました。

そのシーンは、とても感動的なものでした。Belleを応援する誰もが勝利に歓喜していました。



しかし、これで満足する姿は堤喬也コーチにはありませんでした。




試合後も、ほとんどの選手や関係者が帰る中、居残り練習に付き合う堤喬也の姿がありました。

日が暮れ暗くなり、雨が強くなっても、練習に付き合う堤喬也がいました。

僕らは、静かにそれが終わるのを待ち続けました。

そん中、殆んどの人が帰り静かになった競技場から堤喬也は出てきました。

そこには、いつもの冗談を飛ばしてくるツッツンがいました。



彼のサッカー人生は、まだまだ続きます。
堤喬也は、まだまだ歩み続けています。
その目も、その姿勢も、何も変わってはいません。




………彼に憧れ、彼の退団後に、サッカーをはじめようとしている4才の女の子がいます。
彼女は、フィールドプレーヤーではなく、GKを目指しています。
練習でもGKがしたいと言います。

彼女は、堤喬也が女子サッカーのコーチをしていることも知っています。

だから、その彼に会うために、サッカーをはじめ、なでしこの選手を目指すそうです。


彼女は、堤喬也が退団した事を悲しむのではなく、彼に会う為に、夢を自ら叶えていきたいと思っています。


堤喬也は、1人の少女に夢をあたえました…………。

いつか、その夢が叶う日、今とは変わらない風景があの町にあってほしいと思います。

繋ぎ続いているもの………

これまで個人的に岡山の高校サッカーを見てきて、魅力にとりつかれた選手が多くいます。

その中でも、青山や苔口や小室など以上に将来を楽しみにしていた選手がいました。

DFとしてワクワクする選手がいました。


その名は、森本 勇一。


彼がファジアーノの選手として岡山に帰ってきます。


彼のDF能力は、見ていて唸ってばかりでした。とにかく、彼のプレーは素晴らしいものがありました。

1年先輩の坂口(現・三菱水島)と組んだ当時の作陽CBは、本当に見事でした。また翌年のチームを引っ張る姿も見事でした。

彼は駒澤に進学後に、DFをやりつつ、ポジションを中盤に変えました。

それを聞き、当初は驚いたのですが、それでも活躍した姿を見ると、やはり高田FC出身っていうことが大きいのかなと思います。

高田は、最終ラインさえ、ボールをしっかり扱い、時にはドリブルで前へでていくスタイルです。入団から中学2年の夏ごろまで、徹底的にボールを扱わせ、ゴールを目指すのではなく、どんな状況でも平気でボールを扱えるように、ひたすらドリブルなどをさせますす。

以前、高田の中瀬古さんが「サッカーにゴールがなかったらいいのに。そうすれば、体が大きくスピードがある子どもが、その能力だけに任せてゴールを狙わなくなる。指導者も勝負にこだわることもしなくなり、もっと中学年代の時期に技術を身に付ける大切さを気付くことができる。」と言った言葉で高田の育成法がわかると思います。

その出身の森本勇一が、CBから中盤のトップ下にコンバートされたとしても不思議ではないのかもしれません。

その高田から、作陽に進学した彼は、見事にノムラサッカーのDNAを引き継ぎプレーしていたように思います。


高校時代であれ、中学時代であれ、その選手の学生時代を知っていると何か親心に似たものがあります。

森本勇一が、岡山に帰ってきたこと。
それは、金光や池松や妹尾たちが、岡山に帰ってきた事と同じように嬉しい事です。そして、どんなことであれどんな場所であれ、彼らのサッカー人生を見守りつづけたいと思います。

きっと、それはジュニアやジュニアユースであったり、いつか誕生するユースの子たちへの想いと同じになるんだと思います。

時代は流れています。
今や三菱水島であれ、ファジアーノであれ、彼らの世代が岡山のサッカーを引っ張ろうとしています。

彼らが高校年代の時、本気でこの街をJがある街にしたいと思い、この街のサッカーのレベルがあがることを願っていました。

当時の両チームの選手と夢を語り、いつか岡山のサッカーが全国からバカにされない日を夢見ていました。

環境も整わない中、誰もが見ていない中、必死でボールを追いかけていた当時の選手たち。

企業チームと叩かれても、国体チームと叩かれても、何か見えない使命に動かされるように繋ぎ続けた当時の選手たち。

いや、単にサッカーが好きであったから、サッカーをしていたに過ぎないのかもしれませんが、当時の選手たちが繋いだものが今カタチになりつつあります。

もう、あの頃の選手たちは、一線から退きつつありますし、ユニフォームを脱いだ者もいます。でも、アイツら(当時の選手)がいたから今の状況があることを絶対に胸に刻んでいたいと思う。

そんな繋げてきたものを、次に繋げていくのは、坂口や丸山や金光や藤定や妹尾や森本………なんだと思います。

あの時にある選手と、誰もが帰った後のグランドで……語り続けた夢……今…現実になりつつあります。
4、5年前なのに、何十年も前に感じます。


当時の選手には、サッカーを再びどんな形であれ続けてほしい。サッカーを楽しんでほしい。
心からそう思います。


富山の田中秀哉が退団したそうです。彼のポテンシャルを知っています。
彼の次のサッカーライフが早く決まりますように。




岡山のサッカー界でボールを追いかけていた少年や青年たちがいたから、ファジアーノがある………と思っています。

サポ交流

昨日、猿 会で、多くのファジアーノのサポーターの方々と、フットサルで交流しました。

トマ銀のウェアに出会すハプニングもあり、大騒ぎの大盛り上がりの時間でした。


猿会の参加者やサポーターの皆さんの多くが未経験や初心者ですが、笑いありの楽しいフットサルです。

普段は、スタジアムでなかなか話しをする機会がないサポーター同士も、フットサルを通じて交流していました。

熱く大きな声でGATE10で応援している方々、メインで応援している方々、ボランティアをしている方々、試合時には違うスタンスですが、フットサルでは皆が同じ立場でボールを追いかけています。

そこには、幼児から40代まで、子どもも学生も社会人も関係なく楽しんでいる姿があります。


あなたも、運動不足やメタボ解消を兼ねて、ファジアーノ好き同士で、フットサル交流しませんか?

次回は23日(火)です。